日本の心・さいき

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退職後の雑感(213)

  「退職後の雑感、生きる意味」

 高校生(1年生?)の時に、2歳上の姉から、フランクルの書いた「夜と霧」の話を聞きました。その内容に付いての姉の言い方は強烈でしたが・・・その時、内容をザッと姉から聞いただけで、その本を読むことはありませんでした。大学に入って、(大学2年生の)教養過程の時に、「哲学」で、「夜と霧」を読んで感想を書くことになりました。で、真剣に読み、課題のレポートも提出しました(哲学の講義も、しっかりと受けましたが・・・)。
 小児科医になって忙しく働いている時も、何かその「夜と霧」の内容が心の何処かにひっかかっていた感じがしていました。故郷の佐伯の救急病院では、永いこと、眠る時間もない感じで、時間外に、新生児・未熟児医療を毎日していました。それも、10年半余も(一人小児科常勤医は、8年半余)。今は、もう体力的に出来ないのですが、どうしてその時、それが出来ていたのか・・・他の人からしばしばその理由を当時尋ねられたことがありましたが・・・自分でもその理由が分からない状態できていました・・・。
 NHK教育テレビの「100分de名著」で、フランクルの「夜と霧」が取り上げられたことがあって、やっとその理由が分かった気がしました。
 忙しく救急病院で働いている時、「どうして開業しないのか、(閉院した医院もあって、そこで開業すればお金も要らなくて)儲かるのに・・・」って感じでアチコチから言われていましたが・・・しかし、私は、新生児・未熟児医療や小児の救急医療がしたくてその病院に就職していました・・・就職の理由がはっきりとしていたのです。
 まる8年経過して、大学から2年間、貴重な小児科医を一人派遣してもらいました。派遣してもらった2年間の土日には、(今まで全く出来なかっただけに)頻回に旅行などで家族サービスをしていました(家族サービスなんて言葉は、欧米ではないそうですが・・・)。そして、又、常勤医一人になり、体力の限界を感じて、やむなく、開業しましたが・・・(19床の入院設備を持ってのその開業も、8年半余で閉じてしまいましたが・・・)。
 人生何て、自分の思ったように行かないことの方が多いと思います。なりたい自分になれなかったり、欲しいモノが手に入らなかったり、人生は、その連続です。
 しかし、フランクルは、人生の意味は、そんな感じで問うことの出来るものではないと言います。そうでなくて、与えられたモノから何をすればいいのか問われ続けているのが人生と言います。
 「死」に付いて、真剣に考え込んでノイローゼ気味になったことがありました。その時、考え疲れてしまって、もう、考えなくてしまって、諦めた時に自然にその答が自分なりに出たような感じになりました。人間、必ず(どんな人間も、150年も生きることなく)死んでしまうので、それをしっかりと認識して、かつ諦めて、自分なりに生きるしかないと言う結論に達したのです。

*2016年3月24日、実際に、アウシュヴィッツに行って、撮ったものです。

 (令和4年8月8日、少し修正して再掲)