日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

退職後の雑感(758)

  「退職後の雑感、熊本地震

 今からちょうど8年前の2016年4月14日、「熊本地震」がありました。その時、上天草市の4階建ての3階に住んでいたのですが、揺れが酷くて、怖かったです。その時の出来事を、8年前の4月15日に記載した内容で再び見ると・・・→
 昨日(4月14日)、21時半頃、お風呂に入ろうかなと思って、裸になったところで、突如、携帯の警報がけたたましく鳴り、直ぐに、グラグラとして来ました。古い市営アパートで、上の階の人が動くと、時々、ガタガタとして慣れていたんですが・・・さすがに、これには、私も、「地震だ!」と思いました。
 で、家内と目を合わせて、じっとしていました。で、又、脱いだ下着を着て、テレビをそれからずっと見ていました。
 ワーッ、九州殆どじゃないですか・・・!「震度7!!」何て!
 直ぐに、姉や子どもから電話ありましたが、電話が通じません。で、メイルならOKでした。
 それから、余震が凄くて、なかなか眠れず、又、起きても余震があって(詳しい報道では、120回以上)、今日(4月15日)、病院でも、その話が中心になっていました。
 熊本市から通っている人もいて、その人の話だと、天草のレベルなんか、たいしたことない、凄かったとのことで・・・大きな本箱が倒れたり、屋根が壊れたり、地割があったり・・・で、今回、DMATで現場で仕事をした外科のJ先生が、疲れ切った顔で帰って来て、「全く寝てない、ひどかった・・・」と言われました(お疲れ様でした)。
 ある(熊本市に住んでいる)内科のM先生曰く、「横揺れが凄くて、立てないんですヨ、あんな怖い思いしたこと、初めてでした・・・」と。
 今日の午後の講義中にも、教室周囲で音がして、揺れました。1週間、余震でまだ悩みそうだなあ・・・。

*写真は、上天草市龍ヶ岳町にある「龍ヶ岳」から見た景色です。しばしば、家内と登っていました。正に、最高の眺めですね。

 (令和6年4月16日、記載)





退職後の雑感(757)

  「退職後の雑感、日本こそ」

 今、世界の各地で、争いが起きています。やられたらやり返す、これが、欧米の流儀な感じで、これでは、いつまで経っても、争いが絶えない感じです。
 日本は、いろんな面で大国なのに、海外の人から見れば、第二次大戦後、アメリカの犬みたいに思われているみたいですが・・・?!
 これで、日本人、本当に、いいのでしょうか?ウクライナ侵攻にしても、イスラエルパレスチナの紛争にしても、日本は、もっとするべきことがあると思うのですが・・・。
 イスラエルが強気で戦えるのも、アメリカやイギリスからの武器を使えるからです。イランと日本の関係は、とても良好ですね。日本だったら、損得なしで、イスラエルとイランの間に入って、上手くやって行けそうな気がしているのですが・・・?!
 トランプが大統領になれば・・・→トランプは、「アメリカ、ファースト」なので、日本も、割り切って、アメリカと距離を置いて、日本独自の方針で、外交が、それなりに出来ることが多くなるのでは・・・と、私なりに思ってはいるのですが・・・?!
 日本人でロシア人大好きな人、あまりいないと思うのですが(←私の場合は、実際に、ロシア人と話していて、偏見は、全くありませんが・・・)、そんなロシア人、日本に親しみを持っている人、多いんですね・・・。

https://www.youtube.com/watch?v=GUyBcn1pDAg&t=30s(←外国人から見ると・・・!!)
*写真は、小児科を開業している時、院長室で、お茶を差し上げたロシア人(←多分、ウラジオストックから来て、明日の朝、富山に行くと言っていましたが・・・?)。全く、日本語が話せないのに、1時間ほど、お互いに、楽しく、時間を過ごせましたが・・・。

 (令和6年4月15日、記載)







退職後の雑感(756)

  「退職後の雑感、北朝鮮

 「韓国」には、6回も行って、ホント、近い国になっていますが・・・一方、「北朝鮮」は、どうでしょうか?!
 小さい時から、名前の長い「朝鮮民主主義人民共和国」、小学生低学年の時から、よく、口に出して言っていましたが・・・そして、中学生の時、ラジオで、北朝鮮発(←恐らく?)のラジオ放送が流れていて、解らないままに、次兄と聞いていましたが・・・。
 (他界した)私の母は、昔、看護師で、独身の時、姉の産後の世話で、独りで・・・北朝鮮の昔の羅津(라진)、今は、羅先と名前が変更していますが・・・その羅先まで行って、寒い冬を過ごしていて、その厳しさを私によく話していました。母から、アリランの歌や、ハングルでの母や父の言い方など、教わっていましたが・・・北朝鮮は、ホント、私にとっては、謎めいた国でした。(←旅行したいと思ったこともありましたが・・・)。
 そんな「北朝鮮」の体制が今、崩れたら、どうなるのでしょうか?難民がドッと来る可能性、あると思いますが・・・?!
 「金正恩氏」の方針が、近頃、コロコロ変わっていますね・・・韓国との交流をバサッと切ってしまって・・・日本との交流の可能性もスパッと切ってしまって・・・「金正恩氏」、いろいろ試みてはいますが、多くの事が、成就していない感じですが・・・!!
 その実態を、北朝鮮の若者が、知ってきて、「金正恩氏」に対する見方が、次第に変わっている様ですが・・・国民から支持されなければ、いずれ、体制は、崩れますね。
 それは、民主国家だけでなく、独裁国家でも、同じだと思います。
 誠実と平等と本当の愛がなければ、いずれ、上手く行かなくなると思います。歴史を見ると、それは、国だけでなく、個人でも、同じだと思います。嘘は、泥棒の始まりって言葉もありますね。
 

https://www.youtube.com/watch?v=qbaNt4DLCa0(←北朝鮮
*写真は、23年前、韓国清州市での演奏の時の私

 (令和6年4月14日、記載)



退職後の雑感(755)

  「退職後の雑感、情報」

 今は、情報化の時代です。如何にして、正確な情報を上手く自分のものに出来るかです。
 嘘の情報と本当の情報があり・・・政府が言うからと言って、それが正しいとは、限りません。それも、平気で言われると、(素直な日本人だと)つい、信じてしまいますね。
 年金を納めておりさえすれば、将来は、安泰と思って来た日本人は、多かったと思います。それが、突如、老後に2.000万必要と言われても、頭が直ぐには付いて行きませんね。
 検診で、昨今、昔の様に、総コレステロールの値が、あまり、問題にされなくなりました。個人的に、薬の副作用が、思った以上にあることに気が付き始めました。アプリメントも、同じです。
 「自然にしかず」とは、昔から、よく言われる言葉です。病気と共存して生きる生き方も、大切ですね。元々、人間には、治そうとする力がある訳ですから、それを上手に引き出すことが、大切ですね。
 ある産婦人科の言葉が、今も、強く耳に残っています。
 「(高齢の女性が入院していて)間違いなく、子宮癌だけど、高齢で、何もしない方がいい・・・抗がん剤を使うと、かえって、おかしくなる・・・」と。
 薬で苦しんでいる人、多いですね。治す側の立場もあるので、それも、仕方ないのかなとも思いますが、やはり、医療は、患者側の立場で、治療してもらいたし、患者側の立場で、もっと患者さんが主張するべきですね。しかし、今の、医療制度では、ゆっくりと会話する時間、ないですね。間違った生活習慣で、病気になっているケースが、多い訳ですから・・・。
 掛かり付けで、検査を沢山していたり、薬を沢山飲んでいる場合、ちょっと振り返って見ることも、大切ではないでしょうか・・・?!

*写真は、4月9日、「臼杵石仏」で撮ったものです。
https://www.youtube.com/watch?v=S-QP8l8YcWI(←嘘?!、上の内容とは、関係ありません。)
https://www.youtube.com/watch?v=TKR9Wnt8fDM(←新証言?!、上の内容とは、関係ありません。)

 (令和6年4月13日、記載)





退職後の雑感(754)

  「退職後の雑感、好きこそものの上手なれ」

 「好きこそものの上手なれ」と言う言葉がありますが、その意味が、超出来る人を見ていると、よく解る感じです。
 今、名人戦で戦っていますが・・・藤井8冠の好きなことを尋ねた所、1は、「将棋を指すこと」、2は、「詰め将棋を解くこと」、そして、3は、「詰め将棋の問題を作ること」、とのことですが・・・納得ですね。
 大谷翔平選手にしても、野球が根っから好きなんですね。イチローも、そうだったと思います。
 才能がある上に、そんな彼らを周りが暖かく見守って来たんですね。
 土台、人から命令されてする何て、あまり面白くないですね。自分で考えて、自分なりにする方が、楽しいに決まっていますね。
 出来る人は、しないといけない事が、好きになる能力があるんですね。いやいやながらしていたら、どんなに才能があっても、続きませんね。そして、「継続は、力なり!」ですね。どんな職人も、10年修行すれば、ある程度には、なれますね。
 小さい時から、達成感を経験させることが大切だと思います。成功から得ることも、失敗から得ることも、大切ですね。失敗は、成功の神様です。
 それと、思いやりの心と同時に、耐える力を小さい時から培っておくことも、大切ですね。小さい時に周囲が甘やかして、それで、大人になっても、我慢できない人になっているケース、ホント、困りますね。
 4月11日夜9時22分、名人戦の第1局目、藤井8冠、141手で、危ない何場面を何とかくぐり抜けて、勝利しました。

*写真は、4月9日に、「臼杵石仏」で撮ったものです。
https://www.drizumi.com/news/ebook1?fbclid=IwAR16f5hSL0mH95lu8O1YRKJsEUo7r4hO4v4HMzBLaAr8IJZKGTegjkgUuVI_aem_AdkckNBJHCFyjHXjH37c3_zozPXpPStxjndsSBAdZGzm_wZcFq5xLSiopOpTShPBIp96YI_I17wij-7BND_kd3Dq(←不眠症の人の為の本、上の内容とは、関係ありません。私の長女の配偶者が作成した本で、一般の本とは、アプローチの仕方が違います。)

 (令和6年4月12日、記載)





退職後の雑感(753)

   「黒柳徹子、名医の言葉で病気と絶縁」(再掲)

 昭和62年4月5日の毎日新聞掲載の黒柳徹子さん(現在、90歳で、活躍中!)のエッセイを見て、今でも、私の、この原稿を大切に保存しています。

 もう〇〇年近く(←正確には、半世紀以上?!)、私は病気をしていない。
 特にこの〇〇年間は、「徹子の部屋」という毎日のテレビ番組を持っていて、更にその前に、3年間の、これも毎日のナマ放送の司会をしていたから、合計で〇〇年間、毎日テレビに出ていることになる。
 その間、だたの一日も病気で休んだことがないというのは、自分でも(他に、自慢出来ることなどないけれど、なかなかのものだ!)と思ったりしている。
 私は、30年(←正確には、半世紀以上?!)前の「あの日」から病気をしなくなった。
 私は、NHKで、テレビの為の養成を受け、NHKの専属のテレビ女優として、この世界に入った。初めの頃は、「お前の個性は邪魔だ!」と言われて、ずいぶん悩んだ時期があった。
 個性が邪魔と言われても、若い私には、自分の個性がどういうものなのかもわからず、ただオロオロとスタジオの隅で過ごした。
 「もう、帰ってもいいです!」と降ろされて、一人だけ、スタジオの外の廊下で、同級生の俳優たちの終わるのを、本を読みながら、待っていたことも、しょっちゅうだった。
 その内、世の中が、突然、「個性の時代!」に入った。とたんに、みんな、「さあ、貴女の個性を出して下さい!」と言い、仕事は次から次と押し寄せた。
 私は、途方に暮れた(出しなさい、って言われてるものが何なのか、わからない!)。それでも、私は、皆の言う通りに、一生懸命にやった。
 寝る時間は、殆どなくなった。
 ある日、私は、「過労」と診断され、その日の内に入院ということになった。
 どの番組のディレクタ-も、「自分のだけは、休まないで」と言った。でも、お医者様は、「死ぬよ」と言った。
 私は、仕方なく、全部のテレビとラジオのレギュラ-番組を休んで入院した。先生が、テレビを部屋に入れて下さった。
 当時は、全ての番組がナマ放送だったから、私は、私がいないとどんなことになるかしら、と心配しながら自分の番組を見た。
 私が司会をしていた番組に、私の知らない女の人が出て来て言った。「さあ、今日から、当分、黒柳さんの代わりに私がやります。さあ、始めましょう!」。それだけだった。
 私が、渥美清さんと夫婦をしているドラマでは、隣の奥さんの役の人が、渥美さんに聞いた。
 「奥さん、どうしました?」。渥美さんが、答える。「実家に行っています!」。そして、ドラマは、私なしに、どんどん進んで行った。
 他のものも、似たりよったりだった。
 私は、ブラウン管を見つめながら、考えた。 「・・・実家に行ってます」---この言葉が、耳から離れなかった。
 1カ月後に、病院を出る時、私は、はっきりとした考えを持っていた。
 一つは、もう、絶対に病気をしないこと!。
 もう一つは、自分しかやれない仕事をなんとか見つけよう!。
 私は、先生に聞いた。
 「死ぬまで、病気をしないのは、どうやるんですか?」
 先生は、笑って、「生まれて、初めての質問だな」と言ってから、こう言った。
 「一つしかない。自分の好きなことだけ、やるんだな。自分が進んでやろうとする時には、どんなに疲れていても、寝れば、治る。いやだいやだと思いながらやっていると、疲れは寝ても取れない。やれるかい?」
 名医と言われる先生のお言葉だった。
 私は、そうしようと、心に決めた。
 あの1カ月は、私に、人と自分を比べることの愚かしさ、命の大切さ、いつも自分らしくあること、なども、しっかりと教えてくれた。
 人生の入り口にボンヤリ立っていた若い私には、こんな当たり前のことでも、早く教わったのは、有り難かった。
 あの退院の日に、私は、少し、大人になった。
                        
 ある人の話では、黒柳徹子さん、玄関に入ってから、応接室で話をして、その用事が終わって、玄関のドアを閉めるその直前まで、ズ-ッと、途絶えることなく、話をされるとのことです。

 この内容、今までに、何度も何度も、読んでいて、その都度、又、初心に戻っています。  

*写真は、「臼杵石仏」に隣接する庭園に描かれた「ハート」です。4月9日に撮ったものです。
https://www.youtube.com/watch?v=p1leOzgpUEs(←東京スカイツリーには、まだ、登ったことが、ありません。その内、いつか。上の内容とは、関係ありません。)

 (令和6年4月11日、記載)





退職後の雑感(752)

  「退職後の雑感、夢」

 石垣島に住むおじいちゃんと孫が一緒にお風呂に入っていた。おじいちゃんは、「大きくなったらなんになりたい?」と孫に聞いた。小学校4年生の孫は、「僕、パイロットになりたい、おじいちゃんは?」と聞いてきた。おじいちゃんは、しばらく考えた後、「そうだなあ、おじいちゃんは仏様かなあ」と答えた。
 おじいちゃんは、考え込んだ。おじいちゃんは、孫がパイロットになる夢を持っているのに、仏様になることしか答えられなかった自分が無性に哀しかった。
 すっかり落ち込んでしまったおじいちゃんは、子どもの頃に思い描いてきた夢を思い出してみた。大きくなったら、陸軍大佐かサ一カスで空中ブランコをする夢を持っていたことを思い出した。
 陸軍大佐には、もうなれない。しかし、サ一カスは、出来るかも知れない。そう思って、サ一カスを教えてくれる所を探した。日本中のサ一カス団を調べ上げ、「空中ブランコを教えて欲しい」と頼んだが、どのサ一カスからも、70歳と言う年齢を理由に断られた。友人がインタ一ネットで調べてくれた。フランスとスペインにあったが、外国なので断念した。
 ところが、偶然にも、石垣島にある外資系のリゾ一トホテルが小さなサ一カス団を持っていた。頼むと、「うちでは、83歳の現役もいます」と言って快く引き受けてくれた。
 それから、毎日、厳しいトレ一ニングが始まった。そして、ついにおじいちゃんは、孫の前でその夢を実現したのである。本当に、空中を飛んだのだ。
 「僕のおじいちゃんは70歳になって夢を実現した」、この思い出をそのお孫さんは、一生、心に刻んで生きて行くでしょう。

*再掲です。
*写真は、バリ島のウブドでの私です。(2005/3/1~3/31、インドネシアのバリ島のサヌールで、独りで、とても暑い中、ボーッとしていました。その間、ウブドに2泊しました。)
 
 (令和6年4月10日、記載)