日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

大 台・・・


 明日(27日)は、家内の誕生日で、とうとう、大台の年齢に達した感じですが(?)・・・結婚して大きな喧嘩もなく、無事に、ここまで来ています。
 (鹿児島出身で武士の家系で、初めの子どもで、昔流に厳しく躾けられた結果でしょうか?)私の生き方に何一つ文句を言う感じはなく、「忍」の一字で来ている感じで、(今は、3人の子どもも大きくなって、やっと羽を伸ばしている感じで)我が世の春って感じで、ニコニコして過ごしている様ですが・・・?!
 お金の管理は、途中から、私がする様になりましたが・・・子どもの管理は、子どもが小さい時は、殆ど家内任せでした(←3人の子どもには、忙しい中で、茶道だけは、教えましたが・・・)。
 佐伯市の救急病院勤務当初は、毎日、朝から晩まで、年間500近くのお産後の新生児・未熟児を診ながら、小児科の一般入院も沢山持って、疲れ切った状態で、仕事ばかりしていました(初めの8年間、1人小児科医で)。
 (365日休みなく毎晩当直みたいな感じで)とても忙しく働いていて、家に泊ることも少なく(ひどい時には、1カ月に2回しかなく)、2人目がなかなか出来なかったので、「作る暇がないのでは・・・」との噂が周りで立っていた程で・・・病院側も、その内、倒れるのではと、本気で心配していた様でしたが・・・。
 体がもう限界との理由で、やむなく開業し、それも素人判断で入院設備を19床も持って(小児科で入院設備を持って開業することがどんなに大変なことかを知らない状態で)開業し、案の定行き詰まり、やむなく8年半余で閉院し、その後、(20年間毎日小児救急に真剣に取り組んできた故郷の佐伯を離れて)大川市大分市と、救急病院の勤務医で単身赴任生活をしました。
 その頃、いろいろあって、小児救急医療自体にもかなり懐疑的になっていて、子どもの教育で3人にお金が最も要る時に、貯金を次々と解約して、独りで海外生活をしました。
 タイ(チェンマイ)→ニュージーランドオークランド)→韓国(釜山)→バングラデシュダッカ)→マレーシア(クアラルンプール)→インドネシア(バリ島)→イタリア(フィレンツェ)→カナダ(バンクーバートロント)と。その間、家内に心配を掛け、子どもにも悪かったなあと思っています・・・。
 まる1年間の休養で(その間、全く仕事をしませんでしたが・・・)、頭がリセットされたのは、確かなことですが・・・まあ、今がいいので、いいのでしょうか?
 (昨日、院内の売店で売っていた、500円程のささやかな花を買って帰りましたが・・・)
*写真は、現在宿泊している(上天草市松島町にある)「藍風亭ろんぷうてい」周辺からのもの。