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退職後の雑感(61)

  「退職後の雑感、素晴らしい指揮官」
 
 昔(私が研修医の時)、県病院に勤務していた時、病院近くの角店で、1カ月に1回の頻度で、(いつも部長の払いで・・・おでんが多かった感じですが?)夕食を摂りながら、小児科のスタッフ(5~6人)が皆集まって、少しアルコールが入った状態で、懇談していました(その後、部長の自宅に行くことも)。これが、今考えると、凄く良かったですね。(30年程、そこで小児科部長をしている)トップが、部下をどう思っているのかがよく理解出来ましたし、適切なアドバイスを素直に受けることが出来ました。
 部長(当時、副院長)は、県下の小児救急の不備をいつも嘆いていました。「赤ちゃんは、夜作られる、小児科医も、夜作られる。」「検査も、薬も、出来るだけ少なく・・・」って部長の言葉、今も、しっかりと覚えていますが・・・。
 郷里の救急病院に就職した時、私の意見が通って、「新生児・未熟児センター」が出来ました。私も、若かったので・・・→小児科は、任せられないと思うと、院長の所に行って、小児科のスタッフからはずしてもらっていました。そんな感じで、各科からの(ドクターからクレームの付いた)職員を院長が全て院長の傍らで責任もって教育していました。
 ある時、「もう、かなりしっかりしてきたから、どうでしょうか?」と院長から尋ねられた時、私は、「小児科では、あのナースには、子どもを任せられません、ダメです!」と強い口調で言うと、「そうか・・・」と院長が言われて、院長の方が私に常に合わせてくれていました。
 この病院では、とても忙しかったのですが、産婦人科の院長と理事長が、私を絶対的に信じてくれ、又、私の部下も、私に付いて来てくれて、仕事がとてもし易かったですね。(→それで、開業するまで、10年半もいて、独り小児科医で、8年半も頑張れましたが・・・)
 福岡県の病院に就職した時にも、ここでも、上の人の在り方を学びました。
 理事長はとても忙しい人で、何カ所も理事長を兼ねていて、年に、1~2回程、私が勤務する病院に来ていました。その時、必ず、小児科スタッフ(ドクター)と会食をしてくれて、「困った事はないか?遠慮せずに言ってくれ、ここでは言いにくい事でも・・・」とよく言われていました。
 1月1日のちょうど正午に、私が診察をしていると、予告なしに小児科外来にヒョッと来て(3分もいなかったと思われますが)「ご苦労様です。」と頭を深々と下げて言われました。この時の理事長の姿を見て、とても有り難い気持ちになったのを、ありありと覚えています。
 現場の状況を無視して、部下の気持ちになれずに、部下を無視して、トップだけで決めて突っ走ると、いつかは、亀裂が起きてしまう気がしてなりません。
 県病の小児科の部長、佐伯の病院の院長と理事長、福岡の病院の理事長、立派でした。

 (令和4年2月18日、一部修正して、再掲)

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