日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

趣味人間の人生の全て(その16)

 「上天草市立上天草総合病院勤務生活」

 まる1年間、全く仕事をせず、独りで海外中心の生活をしました。その1年間を通して、いろんなことを学びました。
 お金も確かに使ってしまいましたが(←その為に計画的に貯めて来た訳で・・・)、私なりに有効に使ったと思って、悔いは全くありません。で、むしろ、もっと早く海外に出ておくべきだったと思いました。それと、私が海外生活を経験した年齢55歳が、海外独りロングステイのぎりぎりの年齢だと思いました。
 海外では、出来るだけお金を使わない様に私なりに努力し・・・現地の人がいつも利用している店に行き・・・現地の人と話したりして、現地の人の生の姿を見ることが出来ました(もちろん、それでも、それは、現地の本当の姿の一部にしか過ぎませんが・・・)。
 海外で体ごと未知の経験をして、日本の素晴らしさに気付かされました。正に、それは、海外での「日本発見」でした。
 熊本県にある「天草」には、行ったこともないし、知った人もいなかったのですが・・・ただ、「西日本小児喘息研究会」が博多で毎年開催されていて、それに毎年参加していて、その時に、上天草総合病院の当時のO院長がいつもいました。きさくな院長で、話がとても面白く、二次会で、何故かいつも席が隣同士となって、お互いに、いろんな事を話しました。(私が上天草総合病院に就職した時には、もう、O院長は、退職していました。)
 海外から帰っても、就職出来るようにと、出発前に、「○-ドクター」に非常勤で申し込んでいました。私が海外に行っている間、終始、それを通じてメイルを受け取っていたのが、この「上天草総合病院」でした。
 O院長も知っていたので(私の事も、話していたみたいで・・・)、条件を飲んで頂ければ、そこに就職してもいいかなと思って、カナダに行く前に、天草まで面接に行きました。
 (メイルで何度もやりとしていていた)事務長さんが熊本駅まで迎えに来てくれて、その車で、病院まで行きました。思った以上に遠くて・・・ホントに、ホームページにあるような大きな病院が、こんな感じの人の少ない田舎にあるのかなあと思っていました・・・→6階建ての高い建物の病院がスッと立っているのが見えた時には、ホッとしましたが・・・(←初めてこの病院を見たドクター、皆、同じことを言われるとか・・・?!)。
 私の条件は2つだけで・・・一つは、「私の医療」を認めてもらえるかどうか(←漢方薬使用を・・・幸いなことに、当時、この病院に、中医学漢方医が月に2回来院していました。)、それと、毎日(私が今までしてきた様に)365日、年末年始もゴールデンウィークも、時間を決めて「小児救急」をしたいので、協力してもらえるかどうかでした。
 既に、この時、病院が小児科医不在で、私の要求を飲まざるを得ない感じになっていたのかどうか定かでありませんが・・・「もちろんです、各科の先生の意見を一番尊重していますので、先生の方法でどうぞ遠慮なくして下さい・・・」「(看護部長と外来看護師長も同席していて)ナースも先生に全面的に協力します・・・」と言ってもらえました。
 病院の給与は、募集要項にかなり幅があったので、一番少ない金額でいいです(←小児科は不採算ですので・・・)と言うと、事務長(←今は、退職していますが)が、「いや、そう言う訳にいきません・・・」と言われて、初めに頂くまで、金額が全く分かりませんでした。
 大川のT病院を最後の職場にしようと思っていたのに、T大学の都合で、スタッフが全員引き揚げ、次の大分のT(H)病院を最後の職場にしようと思っていたのに、漢方の使い方で意見が合わなくなって出来なくなり、今度も、想定外のことが起きて、何かあって辞めることになるだろう・・・5年もいたらいいなあ、その位までは、頑張ろうと思って、最低限のものしか持って来ずに、道路を隔てて病院の救急外来の前にある市営のアパートに住むことになりました(←今も住んでいますが・・・)。
 も一人の小児科医が就職するまで、(長女が京都で結婚式をする時以外)独りで、時間を決めて、毎日、私がいつもしてきたスタイルで、統計を執りながら時間外を診ました。病院側は、ホントに独りで、何処にも行かずに毎日(!)するとは思っていなかったみたいで、「こんなドクター、初めて・・・」とH院長から言われましたが・・・?!
 昨年(平成24年)の12月15日から、又、小児科医私独りになってしまいましたが・・・小児科一般入院を持たなくなった関係でとても楽になって・・・趣味も活かしながら・・・まとまった休暇も年に4回も頂いて(3連休の時はしばしば休んで)(←病院側から、年齢相応に、無理をしない様に言われていることもあって)・・・楽しく毎日を過ごしています。
 来年(平成26年)の夏が来れば、ここに就職して10年目になります。家内も、今では、「ここ、いいね・・・」と言ってくれて、もう、今住んでいる龍ヶ岳町(高戸)が、「故郷」の様な気がしてなりません。
http://www.youtube.com/watch?v=9CEcpf1f8d8(龍ヶ岳山頂から)
*平成25年12月24日、クリスマウイヴの日に、その16を記載しました。一応、(その1)〜(その16)で、「趣味人間の人生の全て」が終わります。ご愛読、誠に有難う御座いました(合掌)。