日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

教 師・・・

 昨晩、90歳過ぎの男性が、教え子に招待されていた。かって名門灘高校で教鞭を振るっていた国語の教師。
 灘高では、教師に指導を任され、この先生、何と、3年間、「銀の匙」と言う1冊の小説を教本にして、国語の授業を進めていた。凄いなあ。
 で、出てくる内容が解らないと、それを書いた著者に手紙まで送って、それを確かめている。ムーッ、凄過ぎる。小説の中で凧揚げのシーンがあると、凧を生徒と一緒に揚げる。百人一首が出てくると、百人一首の大会を遊びでやっている。
 で、驚いたのは、授業を受けるまでは、国語が好きだと言った生徒がわずか5%しかいなかったのに、この先生の授業を受けた後は、何と、95%(!)の生徒が、国語好きになっているのだ。これだ!、これが生きた本当の教育の姿なのだ!
 受験の為の細切れな知識での積み重ねは、受験が終われば、スッと消えてしまうかな。
 私は、今でも、国語コンプレックスがある。国語が出来なかった。実力テストでも、半分も取れなかった。浪人して、やっと6割近くになったかな。たまたま、大学を受けた時に、国語の問題が難しくてあまり差が付かなかったので、受かっただけの話(入試なんて、そんなモノだと思う)。
 国語が好きでなかった。どうしても好きになれなかった。そんな自分が、こんな感じでブログを書いている何て、どうなっているのかな?(日記は、小さい時から、毎日書いていることが多かったが)今は、小説を読んでこなかったことを後悔している。
 国語の教師で感銘を受けた先生は、高校2年生の時に受け持たれた現代国語のH先生だった。H先生は、何故か、受験校にあって、受験勉強に否定的な先生だった。台北帝国大学を出ていて、授業中に、戦争中に自分が捕虜になった話などをしてくれた。「人間は生きる為に生きる」と言われていた。又、ある有名な詩を、フランス語で朗読してくれた。しばしば、いろんな小説の内容の話してくれて、楽しかった。
 教師は、その教科の面白さを生徒にしっかりと教えることが出来れば、それで、もう、教師の役目の半分は終わったようなものだと常々思っている。
 国際化の時代なのに、語学アレルギーの人、多い。あんなに英語の授業時間数が多い感じで勉強してきているのに。
 例えば、小学校高学年の子どもさんが、3カ月間、みっちりとインドネシア語を勉強して、実際に、インドネシアの子ども達とコミュニケーションをインドネシア語でして、それで、語学の大切さや面白さを知ったら、どんなにいいだろうかと思っている。(簡単な)インドネシア語だと、子どもだとそれが実際に出来ている事例をこの目で見てきている。
 そんなことがきっかけで、語学に対するモチベーションがグーンと上がれば、今の様に、語学アレルギーの子どもや大人が少なくなると思う。
 英語の先生が英語しか知らないってのも、何か、不思議な気がする。教師の役割、大きいと思います。