日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

地域力を結集せよ!

 7月6日(日)22:00より、教育テレビで、「地域医療再生」と題しての放映があり、興味深く見入った。その前に、21:00からは、やはり、民放で、「tomorrow」なる題で、やはり医療を如実に取り扱ったドラマが始まった。そのドラマは、正に、今の多くの自治体病院の姿を現していた。
 医療を取り扱った番組が以前と比べて多くなっている。多くの人が身近な問題として苦しんでいるからではないだろうか。
 現実に、既に、アチコチの日本全国の自治体病院で、スーパーローテートの導入、医療費の抑制、医師不足、勤務医師の退職などで、診療科目の縮小、救急患者の受け入れ制限などが起きている。いわゆる「医療崩壊」であり、今、予想を上まわる速度で「日本の地域医療」は壊れている。(このままだと、イギリスの様に、確実に行き着くのでは・・・?!)
 以下は、NHKの番組の紹介の内容:千葉県立東金病院の平井愛山院長は「地域医療の崩壊の本質は、最前線で地域医療を支えてきた病院勤務医の心の支えがぽっきり折れたこと」だという。であれば、再生への処方箋は、医師を支える地域の総合的な力=「地域力」をどう再構築するかにかかっているはずだ。医療崩壊の危機のなかで、こうした認識を共有する医師や住民が各地に現れ始め、住民が医療を「限りある資源」だと認識して大切に使い、自治体病院の医師も開業医や福祉と密接に連携することで、従来のハコモノ信仰から脱却した「身の丈にあった地域医療」を作り上げようとしている。・・・苦しみながら「医療崩壊」から立ち上がろうとする千葉県東金市兵庫県丹波市…東西ふたつの県立病院の先進的な取り組みを通して、住民と医師が手を組んで地域医療の再生に乗り出した・・・

 集約化が叫ばれ、小児科医や産科医の集約化がアチコチで起きている。集約化された病院も、極限状態で仕事を余儀なくされている所が多い。
 医師の資源は有限である。生身の体である。医療は、医師と患者との信頼関係で成り立つ。こんな当たり前の原理がなおざりにされていて、行き着いて、やっと、気が付いている。いや、まだ、気が付いていないケースもある。気が付くだけでは先に進まない、それに対して、一人一人がどう行動するかだ。今からの政治は、小さな政府に大きな地方だ。そう、国に頼ることには限界があるので、今、地方が、地方のアイデアで出来ることは何かを考えることだ。
 現実に、地方では、社会的入院は多い。面倒を看る人も、生活が掛かっているから、しっかりと面倒が看れない。で、病院に入院となるケースも多い。しかし、病院は、助けるべき患者さんで溢れかえっている。病院に居付いてしまうと、限られた入院ベッド数で身動きが取れなくなってしまうのだ。長期入院で在院日数が延びて収入減少となる。人道的には、採算を度外視しても出来るが、実際は、それでは潰されてしまうのだ。
 問題は、根が深い。大きな市の救急病院では、時間外は、途切れることなく小児で溢れている。熊本県でも、小児の時間外は、熊本日赤では2時間待ち、医師会立の熊本地域医療センターでは、それ以上待つことが多い。そこで深夜に徹夜して頑張っている大学の小児科の先生、当然、睡眠不足のまま大学での勤務に入る。そんなこと、当たり前。そして、睡眠不足で何かあれば、新聞で犯罪者の様に叩かれ、刑事事件となる。
 親御さんの中には、昼間他の人に預けているので、心配だから時間外に掛かろうとする人もいる。深夜でも診てもらえるから、そして、深夜でもお金が要らないとなれば、正に、コンビニ感覚になっても不思議ではない。
 
 私も、悪戦苦闘してきた。
 大学病院勤務の時、主治医制が強かったこともあり、72時間全く寝なくて、診ていたこともある。それが、もう、48時間が限界だと思う様になり、今は、深夜起こされるだけでも、朝からの外来がホントに辛い(来年、還暦ですから)。
 佐伯の救急病院では、常勤医が自分だけで8年半も頑張った。お産が年間500件前後もあり、帝王切開もしばしばあり、自分の頭がスッキリとした日、殆どなかった。春が来た時、「ああ、やっと(インフルエンザが多い時期を過ぎて)体が今年も無事に持ったなあ」と思っていた。フラフラになり、インフルエンザで38度以上あっても、頑張っていたのだ。
 で、当然、笑わない、話さない、すぐ怒る医者になっていた。
 医療は、患者さんの協力がないと絶対に出来ない。特に、小児の救急医療は。いつも、100%の力を出していると続かない。余力を常に残して仕事をして行くべきである。
 今の自分は、まだ、頑張れるのだけれども、昔の様には、もう頑張らないことにしている。短期間、どうしても頑張らないといけない時は、もちろん、全力を尽くして頑張る。しかし、長く細く、今まで培ってきた経験をまだ生かして仕事をしたいので、長期間続けてしないことにした。休み休みしながら(時々長い休みをもらいながら、もちろんお金もそれなりに減らしてもらって)、も一人の小児科医を補佐しながら、自分が納得できる感じで、小児医療を続けていくことにしたのである。
 この3万4000人の人口に、わずか1つしかない病院で。