日本の心・さいき

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退職後の雑感(693)

  「退職後の雑感、お悔やみ申し上げます。」

 令和6年2月7日(水)、突如、メイルが入り、私が浪人中に(2浪の時)、1年間、大変お世話になった下宿の息子さんから、「お久しぶりです・・・母・・・〇月6日、9〇歳で永眠しました。物忘れ気味の兆候はありましたが、田原兄ちゃんのことは、頭の中にあり、気になっていたこと、お知らせします。」とありました。
 何か、信じられない感じで、しばらく、ボーッとしていましたが・・・毎年、年賀状で連絡を取り合い、この数年、途絶えていて、心配していたのですが・・・よく、私達夫婦の会話で、「〇〇のおばさん、今、どうしてるかな?」との会話をしばしば、していました。
 2浪の時にお世話になったこの素晴らしい下宿のお陰で(修猷学館に通って)、私は、いい2浪生活が出来て、Ⅱ期校の医学部に合格できた訳で、正に、命の恩人でした。
 おばさんは、鹿児島出身で、「鹿児島の女は、よかよ!」としばしば言っていて、鹿児島弁も、時々、教わっていました。私の相手が見つかったら、ここに連れて来て、おばさんに見てもらうからと私は約束し、約束通りに、結婚前に、家内と一緒に行って、見てもらいました。もちろん、結婚式の時は、参列してもらいました。
 おじさんもとてもいい人で、元職業軍人で厳しかったのですが、私は、おじさんから高く評価されていました。子どもは、一人息子でしたが、その息子さんに、私を慕われていました。佐伯にも、来てもらいました。
 おじさん亡き後は、福岡のアパートに、息子家族と一緒に住んでいて、生前、一度だけ、自宅まで行ったことがありました。
 深く深く、お悔やみ申し上げます。

*写真は、電車の中から撮った「桜島」です。

 (令和6年8日、記載)