日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

つぶやき(5)

 協調性がない、素直でない、人の意見を聞かない・・・→自分の性格に付いて、長いこと悩んでいた時期がありましたが・・・?!(←今も、変人ですが・・・)
 高校時代、不思議に思っていましたが・・・→当時、医学部を受けるのに、何故か、受験生の多くが、無理して、有名大学に行こうとしていましたが・・・。
 二浪して入学してやっと入った(私の二期校の)大学でも、入学時に、そんな人が少なからずいました。いや、結構沢山いたかな?!
 大学に入って、初めから真剣に勉強していると、周囲からは、変人扱いって感じでした。大学に入っても、高校生みたいに勉強する何って、と言った感じでした。
 何故かなあと、自問自答していました。それでも、他人の意見を無視して、私は、私なりに真剣に初めから勉強しました。入学する為の2年間の浪人時代、同じことの繰り返しだったので、大学の教材は、新鮮でした。
 将来、ハリ麻酔で、中国医学が盛んになると思って、鹿児島の日中友好協会主催の中国語講座に真面目に通いました。ドイツ語はもちろん、フランス語も、医学用語でしばしば出て来るからとのことで、一生懸命にしていました。
 大学紛争のあおりでしょうか、国家試験が次第に難しくなり(入学時の97.9%から卒業時の80.4%に)、国家試験が近づくに従って、私を批判する人が次第に少なくなりました。
 卒後、県病→大学に行きました。扱う疾患が全く違っていました。大学では、気管支喘息や腸重積症で入院するケースは、年に2〜3例しかなく、大学でしか扱わない疾患が大部分でした。卒後、4年間しか経っていないのに、5年目から研究もボチボイしないといけない感じになっていました。
 研究医よりも臨床医に、それも、新生児を含めた小児救急を扱う医師になる方に価値観を持っていた為に、この新設大学から、私が一番初めに小児科医局から出ました。正に、その時から、一匹狼的生き方になってしまいました。
 その時、当然、周りから反対されました。しかし、自分の意志を貫きました。郷里の救急病院に、小児科と新生児・未熟児センターを新設してもらいました。そこで10年半ほど、頑張りました。
 まあ、後、いろいろ続きますが、いろんなことがありましたが、今考えても、悔いはないですね。「人間、万事、塞翁が馬!」ですから。 
 
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