日本の心・さいき

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小児科外来での出来事(その10)

 長いこと仕事をしていると、病気で病んだ人を相手にしている仕事だけに、いろんな出来事があります。佐伯での開業生活では、8年半余で、毎日たくさんの子どもさんを診察していて、カルテ番号が、1万人ちょっと切っていましたが(←ダブリ全くなくて・・・)。

 開業前の病院で関与していた未熟児が大きくなって、高校に入学した時に挨拶に来た子どもさんもいましたし、今も、年賀状を頂いている(もう、大人になっていますが・・・)ケースもあります。
 仕事だからと割り切って、きつくても一生懸命に頑張らなければいけないと思いながらも、患者さんから感謝の気持ちを頂くと、とても嬉しくて、今までの苦労も吹っ飛んでしまいますね。

 平成27年3月14日、自分のブログに、以下の様なとても有難いコメントを頂いたことがありました。(これ以外にも、時々、突然、私のブログに、感謝のメイルを頂いて、感激すること、ありますが、残念なことに、どんな人だったか、思い出さないことが多くて・・・)
 先生、お久しぶりです。
 先生が佐伯市で医師をされていた頃、何度も入退院を繰り返していた者です。(小児喘息持ちだった女児…といっても沢山いるので分かりませんよね^^;)
 ふと先生の事を思い出したので検索してみたところ、このブログを発見しました。今も現役で多くのお子さんの命を救っているのですね。
 私も幾度となく先生に命を救われました。あまりに幼かったために当時の記憶は曖昧なのですが、それでも先生への感謝の気持ちを無くした事はありません。大分を離れたらしいという事は知っていたのですが、その後どちらへ移られたかまでは存じ上げておりませんでした。ですので今日このような形で先生のご無事を知る事ができ、大変嬉しく思っております。
 ・・・(以下省略)

 天草で、あるドクターから「いい話」を聞きました・・・→名古屋まで、結婚式に呼ばれたそうで・・・→
 「その子(女児)が小さい時に、白内障の手術をし、その時、自分はまだ若い研修医で、自分がメインで手術をしてなかったが、主治医だったので、その後、その子のコンタクトレンズ装置の管理などで、その親御さんと二人三脚で苦労しながら経過を診ていました。そして、その子が(九州の国立大学を卒業し)、立派な社会人となって、その子の結婚式に呼ばれました。で、参列して、驚きました・・・→何と、親族中心のこじんまりとした結婚式で、新郎側と違って新婦側は5人しかいなくて、私達夫婦と新婦の兄と新婦の両親だけでした・・・」と。
 で、言われました、「こんなことがあるから、小児科の先生も、小児科が辞められないんでしょうね・・・」と。
 そうですね、私の場合は、今は、もう、外来では、子どもを診察すると言うより、昔と違って、ゆっくりと診察している関係で、子どもと一緒に楽しく遊んでいるって感じ、いや、子どもから遊んでもらっているって感じですかね・・・いつも、子どもからパワーをもらっています、ありがとうございます(感謝合掌)。