日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

山中伸弥先生・・・


 山中伸弥先生が、ノーベル医学・生理学賞を授与されました。スゴイのは、2006年からして、わずか6年で、それが認められたことです。まだ、50歳の若さで(同時受賞のジョン・ガードン氏は、79歳)。
 いい研究をしようと思えば、ノーベル賞をもらった人に付くのではなくて、もらえそうな人に付くべきだ(ノーベル賞をもらった時は、既に、最盛期を過ぎていて、その後の期待があまりもてなくなるから・・・)とも言われていますが・・・?!
 先生は、「感謝」「責任」と言う言葉を繰り返していました。自分だけの力でなく、多くの人の支えで出来たと何度も言われていました。ニッコリと笑うよりも、顔がむしろひきつっていました。
 医療の現場で実際に役立てられる様に、今から急がなければいけないって感じで言われていました。とても責任感の強い誠実な先生なんですね。
 こんな感じで、自分の実績を皆で分かち合って、多くの病んだ人を救おうとしている人、正に、この精神は、ノーベル賞受賞者にふさわしいものですね・・・。
 1年前に次の内容で、NHKで紹介されていましたが・・・→
1、子どもから微分積分のことを尋ねられて、上手に受け答えが出来なかったみたいで・・・その事に関して、山中先生は、「もう、30年前のことなので、忘れてますが・・・その考え方が役に立っています・・・」と言われていました。
2、(ラグビーなど)スポーツ好きでしたが、とにかく怪我が多くて、それも骨折を10回以上もして・・・→整形外科の道を選択・・・?!
3、整形外科を選んだものの、山中先生にとっては臨床の道は厳しく、手術に難儀し、ある時、長い時間を要する手術となって、麻酔が切れかけたこともあったりして・・・周りから「じゃまなか」とまで言われたこともあったりして(?!)・・・しばしば先輩から怒鳴られたりして(それまで、頭越しに叱られることを経験してなかったので、それが凄いストレスになったみたいで・・・)・・・(手術は下手でも、ネズミや犬の手術は上手だったこともあり?)2年間して整形外科医の道を諦め、本格的に研究の道を選ぶことになりました。
4、研究の道をアメリカに求め、30歳でアチコチ自分を売り込んで、やっとアメリカのグラッドストーン研究所で研究出来ることになりました。そこでは、幸いなことに、ノーベル賞受賞者と対等に言える環境を得ることが出来ました。
5、アメリカでは、アメリカ人的考え方に共感しました・・・→「変わり身の早さ」&「寄り道は悪くない」的生き方に。
 日本人は、直線的に進もうとする。しかし、アメリカ人は、失敗したら止め、面白いと思ったら迷わずそっちの方向に向かう。直線に進まず、ジグザグに迂回しながら進む。・・・→山中先生は、そんなアメリカ人的発想の「寄り道人生」で生きることに自信を持ち、その結果、日本に帰って万能細胞を発見することとなったのです(大拍手!)。
 臨床で挫折し、研究でも挫折し、研究で挫折した時、奥さんから、又、臨床にもどったらとも言われていますが・・・イヤー・・・人の才能の開花の経過って、いろいろあるんですね。そう言えば、シュバイツァーも、学校の成績が悪くて、父親が学校に呼びつけられていたし、エジソンにしても、アインシュタインにしても、学校では、落ちこぼれって感じだったし・・・。
 長い人生、直線でなくて寄り道しながらでも、その人なりの納得出来る道を進んで、自分なりに社会貢献が出来れば、それが一番いいんですね・・・。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20071123/2