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インフルエンザの歴史・・・

 インフルエンザの歴史を調べてみると・・・

1、今は、A型に関しては、ソ連型と香港型が、ある年には、一つだけ、ある年には、両方が流行する感じになっているが・・・。
 長いインフルエンザの歴史の中では、ある時期までは、A型のあるタイプが流行すると、嘘の様に他の型は消えていた!
 1890年、H2N8の旧アジア風邪が流行した。
 1900年、H3N8の旧香港風邪が流行した。
 1918年、H1N1のスペイン風邪が流行した。(4000万人以上が死亡)
 1931年:ブタインフルエンザが発見
 1933年:A型インフルエンザウイルスが発見
 1940年:B型インフルエンザウイルスが発見
 1950年:C型インフルエンザウイルスが発見
 1947年、H1N1のイタリア風邪が流行した。
 1957年、H2N2のアジア風邪が流行した。(日本で100万人感染し、8000人死亡)
 1968年、H3N2の香港風邪が流行した。
 あるタイプが流行すると、その前のタイプは、嘘の様に、消えていた!
 ところが、1968年、H3N2の香港風邪が毎年続いているのに、1977年に、H1N1のソ連風邪が、香港風邪と共存する感じで、流行する様になってしまった。
 何故だろうか?(・・・←多くの人が、予防接種をする様になってから?!)
 2001年には、マスコミでは、大きく取り上げられなかったが、H1N2の小流行もあってはいるが・・・。
 今は、A型は、H3N2の香港型とH1N1のソ連型が、入れ替わり立ち替わり、共存している感じで、流行している(ある年には、一方だけで終わることもあるが・・・)。

2、インフルエンザの始まりは、(昔は検査がなかったので)小児科外来では、急に年齢層が上がることで気が付く。
 兎に角、インフルエンザが流行すると、同じ症状の人がどっと急に来院する。何せ、潜伏期が1〜3日なので、直ぐに発症するから。
 流行すると、春休みに入るまで、多いのが続いていた。
 ・・・春休みに入って、小児科外来のインフルエンザの患者さんが少なくなると、「今年も、無事に体が壊れることなく、無事に時間が過ぎた、良かった・・・」何て思っていた。流行時期には、自分の勤めていた佐伯市の病院では、月曜などは、1日250人を何度も超えていた(それ以外に、新たな入院が一日3〜5人程あり、かつ、新生児・未熟児医療のお産も、年間500件近くあり、フラフラ状態で、過労死寸前って感じだったが・・・→それで、やむなく、開業しましたが・・・)
 ところが、今は、インフルエンザの大流行が長引くことは少なく、嘘の様に急速に終息するケースが多い。大流行があっても、3月になる前に、既に終息していることも多い。
 更に新たなこととして、春休みが終わって、新学期になってB型が流行する現象が出ている。(・・・←予防接種をしているのに!)

3、インフルエンザの予防接種の改善も、かなり進んで来ている。当たる確率が多くなった。抗体値が4倍前後上がる様になった。基礎疾患を持っている人も、打てる様になった(より、積極的に)。
 それに、検査が出来、治療も1日で終わる吸入、注射薬まで、出来てしまったし、既に、使われている。

 しかし、毎年、しっかりと予防接種をしてきていても、手洗いやうがいやマスクを徹底的にしていても、インフルエンザには勝てない感じです。
 それは、何故・・・?!

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20110130/2
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20110211/1
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20110213/2

以下は、インターネットから引用
 インフルエンザと人類の関わりは古く、古代エジプト時代にはすでにこの感染症が知られていたことが記録に残っている。古代ギリシャヒッポクラテスの記録(紀元前5世紀)にも残っている。
 1878年のコッホによる炭疽菌の発見以降、さまざまな感染症についてその病原体が分離・発見されていったが、インフルエンザ病原体の発見は困難をきわめた。
 1889年−1900年:H2N2の流行
 1892年、北里柴三郎らがインフルエンザ患者の気道から病原体の候補となる細菌を分離し、Haemophillus influenzae(インフルエンザ菌)と名付けたが、コッホの原則に基づいた証明には至らなかった。当時はまだウイルス自体が認知されておらず、ディミトリ・イワノフスキーによってウイルスの存在が初めて報告されたのが、北里の発見と同じ1892年のことである。
 1900年−1918年:H3N8の流行
 1918年から1919年にかけて、スペインかぜ(病原体はH1N1亜型)の大流行が発生。人類は初めてインフルエンザの世界的大流行に遭遇した。このときの感染者数は6億人、死者は4000-5000万人にのぼる(当時の人口は20-30億人)と言われるが、候補となる細菌やウイルスが報告されたものの、マウスやウサギなどの一般的な実験動物で病気を再現することができなかったため、その病原体の証明には誰も成功しなかった。
 1933年、ワシントンで発生したインフルエンザの患者から分離されたウイルスを使って、フェレットの気道に感染させてヒトのインフルエンザとよく似た症状を再現できることが実験的に示された。この実験によって、インフルエンザの病原体がウイルスであることが明らかとなり、インフルエンザウイルス(後にA型インフルエンザウイルス)と名付けられた。後に、この当時の流行株に対する抗体が、スペインかぜのときに採取されていた患者血清から検出され、スペインかぜの病原体がこれと同じもの(H1N1亜型のA型インフルエンザウイルス)であることが明らかになった。
 1940年、インフルエンザ患者から従来とは抗原性が異なるウイルスが分離され、B型インフルエンザウイルスと名付けられた。
 1946年、鼻かぜ症状を呈した患者からA、B型と異なるウイルスが分離され、1950年に病原性が証明されてC型インフルエンザウイルスと名付けられた。
 1957年、アジアかぜが世界的大流行を起こす。それまで流行していたH1N1亜型とは異なり、H2N2亜型に属する新型ウイルスであることが明らかになった。同時にH1N1亜型のものは姿を消した。
 1968年、香港かぜの世界的大流行。H3N2亜型に属する新型ウイルスであった。同時にH2N2亜型のものは姿を消した。現在の季節性インフルエンザの原因の1つである。
 1977年、ソ連かぜが流行。これはスペインかぜと同じH1N1亜型に属するものであった。アジアかぜ以降姿を消していたH1N1型が再び出現した理由は明らかになっていない(一説には、アザラシなどヒト以外の生物が保存していたためとも言われている)。このときはH3N2亜型は姿を消すことなく、以後H1N1とH3N2が毎年流行を起こすようになっている。現在の季節性インフルエンザの主な原因である。
 1997年、香港でH5N1亜型という高病原性鳥インフルエンザウイルスが、トリからヒトに直接感染して死者が発生した。トリからヒトへの直接感染は起きないというそれまでの定説を覆すものであり、世界的大流行が危惧されたが、ヒトの間での伝染力が低かったため大流行には至らなかった。
 2001年、欧米や北アフリカ、中近東の数カ国でH1N2亜型に属するウイルスがヒトの間で流行していることが確認された。これはH1N1亜型のH1とH3N2亜型のN2を併せ持ったウイルスであった。2006年現在、流行は小規模にとどまり、H1N1やH3N2に取って代わるほどの勢いはない。
 2009年メキシコから新型インフルエンザの流行が始まった。H1N1型ではあるが、スペイン風邪ソ連風邪と異なる種類である。(ウイルスは米国内から入ったと言う説が有力である)