今から10年前、2011年2月15日に私が記載した内容の再掲(改訂していますが)ですが・・・→
「前橋レポート」なるものがありました。「ワクチン非接種地域におけるインフルエンザ流行状況」の内容で、医療関係者が中心になって大掛かりに行われていました。
その内容は(調査した1984年は、大流行の年)、医療関係者も驚く程の結果だったのですが・・・→
ワクチンを打たなかった方が、比較にならない程、自然感染によって強い免疫力が付いていました。自然感染すると、翌年同じ型(A香港型、Aソ連型、B型)が流行した場合でも、ほぼ完全に掛からなかったし、3年経過すれば、その防御率は下がるものの、それでも、感染したことのない人とは大差があったのです。更には、症状の出ない不顕性感染が20%もいました。集団接種をしている高崎市との比較でも、インフルエンザワクチンをやめたことによる前橋市の死亡率が上がっている事実がなかったのです。(http://
更にさかのぼって、大正時代のインフルエンザ論争がありました。(←笑わないで下さいね!)
→大正時代、日本の学界を真っ二つに分けた大論争がありました。結局、大論争の結果、決着の付かないまま、二種類のワクチンが作られたのです。インフルエンザの原因として、伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)では、インフルエンザ菌と肺炎球菌の二次感染が原因として両方の菌の混合ワクチンが、北里研究所では、インフルエンザ菌自体が病原であるとして、インフルエンザ菌のワクチンが作られたのです。さて、どちがら効くのか大論争に。帝国議会でも取り上げられて・・・。
現在の私たちであれば、その騒動の馬鹿馬鹿しさがよく分かるのですが、当時の偉い人たちは、それを真面目に討論していました。そして、当時の内務省にしても、無効だという人の意見を無視して、「インフルエンザの予防接種をするように」と国民に訓令を出していたのです。
インフルエンザ菌と肺炎球菌は、常在菌として、多くの人が持っていますが、その多くで、発病しません。免疫力が低下すると、発病します。
ちょっと前までは、インフルエンザがインフルエンザウイルスによって起きることさえ、理解されていませんでした(←今では、小学生でも知っていますが・・・)。亡くなった人の多くは、インフルエンザによって、免疫力が低下して、細菌性肺炎で亡くなっていたのですが、その時の細菌が、てっきりインフルエンザの原因と勘違いして、インフルエンザ菌と名付けてしまったのです。
インフルエンザ合併症の(お年寄りの)肺炎では、その多くが、インフルエンザウイルスにより、免疫力が低下したことによる細菌性肺炎によるもので、感染後、しばらくして起きるものです。(→子どもに多いウイルス性肺炎や急性脳症は、大人では、少なくなっています。)
*写真は、2005年5月15日、イタリアのピサで撮ったものです。
(令和3年2月21日、記載)