日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

昔の話・・・

 昔、孤軍奮闘って感じで(県内の学会で時間外の統計を発表して、自分のことをそう新聞に記載されたこともあったが)、いつも睡眠不足の状態で、小児の救急医療に長い間、従事していた。どうしてあんな過酷なことに耐えられたのだろうか・・・他の人からよく尋ねられるし、自分でも正直よく分からないのだが・・・今思うに、(モチベーションも確かに高かったと思うが)、毎日、時間外に、来院患児を一人残らず自分の救急ノートに記載していたことが大きかったと思う。(それに、拘束されてどこにも行けなくても、部屋の中で、一人でもそれなりに出来る趣味にもはまっていたからかな。)
 大学を去る時、小児科医局の上司から言われた言葉が、常に脳裏にあった・・・→「後に記録として残っていないと、説得力がないよ・・・」と。
 名前だけでなく、年齢、性別、来院時刻、主訴、病名、現住所、重症度などを一人残らず記載していた。佐伯市での20年近くの小児医療では、病院や自分の医院の月報に、小児の時間外の統計を毎月記載していた。それをまとめて、学会でもよく発表していた。
 それは、佐伯市での救急病院とたはら小児科医院の20年近くの期間だけでなく、次に就職した大川市の救急病院でも、しっかりと時間外の統計を出していた。
 今は、毎日の統計は、執っていないが、病院のコンピューターをいじくれば、直ぐに、病名や重症度まで、きれいに出てくる。
 昔は、(いつも疲れていたせいで)患者さんから見ると、「話さない」「目を見ない」「すぐ怒る」って感じの自分のイメージだったみたいだが・・・ゆとりの出来た今は、ニコニコした感じで、説明しているかな・・・。
 小児科の場合、点滴したり吸入したりするだけで、直ぐに元気になることが多い。1泊の入院でも、見違える様に元気になることも多い。昔は、今以上に終始とても疲れていたが、患者さんから元気をもらていたのも、確かなこと。
 今日(日曜)も、10時半までに、病棟回診し、新生児の退院診察をし、その子の入院のまとめを書き、外来の患児を7名ほど診た。それも、ウキウキ気分で診ていたが・・・(明日から、家内と一緒に、待望の京都4泊旅行のせいで)。
 今は、昔以上に、患者さんを診るのが楽しくなっている。歳のせいもあるのかな・・・?!