日本の心・さいき

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心筋炎

 8月4日(火)の22時前、もう寝ようかなあと思っていたが、偶然にチャンネルを回すと、NHKで、5歳の女児が心筋炎で亡くなった後の医療訴訟の番組があって、仕事柄、途中で見るのを止める訳にも行かず、最後まで家内と一緒に見てしまった。
 途中で、これは、ドラマ?いや、事実だと自分に言い聞かせながら見ていた。見終えて、何か思苦しい感じになった。何故、天下のNHKがこれを取り上げたのか、その意図がよく分からなかった。亡くなった家族には、思ってもみない結果になって気の毒に思ったが、(自分も経験があるだけに)医療側も訴訟で大変だったろうなあと思った。つい、これで、又、小児の救急医療をしようと思う若いドクターが減る可能性もあるかなあと家内に言ってしまった。
 患者さん側は、真実を知りたいと言っていた。病名は心筋炎と、ちゃんと付いている。時間外にもちゃんと断わらずに診てもらっている。で、1審と違って2審の高裁で、医療側が負けている。何か割り切れない感じの内容だった。
 昔、救急で来て、よく分からないまま亡くなった子どものことが、又久し振りに、思い出された。深夜亡くなって、翌日に循環器内科の先生と話して、心臓病だったのではとの話になった。その子は、来院時、既に、ひどい症状だったので、親も納得してもらえたとその時思っていたが、来院時にさほどきつがっていなければ、訴訟になっていたかも知れないなあとずっと思い続けていた。
 深夜に心電図やレントゲン検査や血液検査、コメディカルの人にとっても大変だ。明らかに医療側の手落ちである場合は別だが、救急病院の場合、そこでの医療従事者の多くが、ギリギリのスタッフで精神的にも肉体的にも一生懸命に頑張っているケースが大半だ。そんな中で、医師の多くが、この裁判は納得できないと思っているとすれば、先の福島県での産科の事件と同じく、医療側が負ける判例は、やはり、おかしいと思う。
 小児科の場合は、訴訟まで行かなくても、トラブルは(小さなことまで含めば)しばしば起きていて、それも、時間外が多く(小児科の場合、科の性質上、急変が多いので、しばしば観察していないと判断を誤ってしまう確率が高いと思われる)、自分にしても、患者さん側とのトラブル、今でも、時にある(還暦を迎えた今の自分の場合、アルバイト医として、アルバイト期間中は、新生児と小児時間外患児を中心に診ているが、昔ほど重症患者さんが沢山いないので、トラブルが少なくなってはいるが)。
 小児科では、「腸重積症」なる疾患が時にあり、早期診断が要求される(そのままにしておくて、腹膜炎を起こして亡くなってしまう)。が、早期で診断が難しかったり、時には、整復中に腸が破けたりと言うことが皆無ではないので、そんなトラブルと背中合わせって感じになってヒヤヒヤしながら高圧浣腸をしているのが実情である。
 急変して来院しても、直ぐに高圧浣腸で整復した場合と、いろんな事情で非観血的に整復できなくて、とうとう手術になった場合では、手術して退院する時の方が、患者さん側から感謝されている様に思えてならない。
 (32年前の自験例では)土曜日の夕方から症状があったのに、土曜ということで親が我慢し、日曜の早朝に(県病に)来て、研修1年目の私が腸重積と診断した。オーベン(上司)の人を呼んで整復するも上手く行かず、部長がしても上手く行かず、手術になってしまったが、最悪なことに既に壊死していて、腸を切り取ってしまった。長いこと掛かってやっと退院となった。しかし、退院の時、スゴク親から感謝されたのを今でもしっかりと覚えている。
 医療って、スゴク悪くなったのを救うと、感謝される。初期にはさほど症状が悪くなくて、だんだん悪くなって、思わぬ結果になると、患者さん側の態度が、次第に変わってくることがある。それは、仕方ないことだと思うのだが、一生懸命にしても、疾患によっては必ずしも改善せずに不幸な結果になることもある。結果が悪いと、医療をする側も、落ち込んでいますが、そんな時、不信感一杯にモロに苦情を言わる感じになってしまうと、とてもつらいです。
 大学にいた時に、(循環器系の疾患が中心の小児科病棟だったので)小児科の開業の先生から、心筋炎の疑いで紹介されて来た患児がいました。入院時、心筋炎と思っていたのですが、精査の結果、違っていました。それ以来、心筋炎の診断って、難しいんだなあとずっと思ってきています。
 
*大学を去る日の早朝、大学の門で、挨拶をする父と子がいた。自分が受け持った子どもの父親だった。「どうして今日と知ったのですか?」と聞くと、「聞いたものですから・・・」と言われた。○島からわざわざ来ている。自分がここを通るかどうかもはっきりしてなかったのに。どの位ここで待っていたのだろうか?驚くと共に、ジーンと来てしまった。昭和55年の3月のこと、もう、29年前のことで、その時の情景をいまでもはっきりと思い出すことができる。
 この子は、(拡張型)心筋症で、小児科の循環器の専門医も、もう、助からないと親御さんに言っていた。来院時には、顔色悪く、痩せていて、元気がなかった。病棟でも、父親がビデオをしばしば撮っていた。(当時、若い小児循環器医師にとっては、神様的存在だった)東京女子医大の○尾先生が大学にたまたま来た時にも、診て頂いた。皆、ホントに諦めていた。
 が、不思議なことに、入院後、しばらくしてから、何故かメキメキと元気になり、ふっくらした元気な顔付きになって、長期入院後に無事に退院が出来た。その後、10年以上経ってから、「先生の様に、茶道をしています」との年賀状を頂いた。

 小児科では、いい思い出も、一杯あります。又、医師になったとしたら、私は、間違いなく又小児科を選ぶでしょう。そして、やはり、相変わらず、小児救急の道を選ぶでしょう。