日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

ある小児科医の独り言(その57)

 エチオピアの難民キャンプに取材に行った時のことを、元NHK特派員人は話された。
 ・・・ドイツ政府から派遣されているドイツの医師は、大きな軍事用の専用機で来て、医師も、それ専属の医師ばかりで、皆、独身。兎に角、その為に訓練された医師なので、脳外科でも産婦人科でも何でも出来る。見ていて実に手際よくしていたと言われた。それと全く対照的なのが日本の医師で、専門外は出来ないと言って拒むシーンが目立っていた。
 救急が医療で大きな役割を占めると言われる様になって、日本ではまだ間がない。本格的に出来たのは、大阪大学医学部が初め。救急医療に関しては、日本の場合、国公立よりも、私立大学や国公立大学病院以外で積極的に行われてきた。
 かって満州で医師が足りない時、必要に応じてその時に養成した多くの医師に対して、戦後、日本政府が、医師としてちゃんと認めた。実は、実践を経験したそれ等の医師が、日本に帰ってから、救急の実践に一番携わってきていて、その時には、日本では、何ら救急の問題は起きなかった。が、それ等の医師が高齢となり、亡くなってしまって、何でも出来る感じの救急医が日本からいなくなってしまった感じになって、救急が大きな問題になってきた(と言われた)。
 今思えば、医学生の時、小児救急医療の講義なんて、あったかなあ?専門4年生の夏休みに、宮崎県立宮崎病院に実習に行った時(昭和50年当時、宮医大もなく、90床の小児病棟をわずが5名の小児科医でこなしていて)、卒後2年目の医師が、新生児の交換輸血や挿管など、バンバン救急をしている姿を見て、自分もそんな感じでしてみようと思ったものだ。
 「しゃべり場何でもトーク」の私の話の一部は、次の内容だったけど、・・・「そこから外に出てないと、そこの姿が客観的に見れない。佐伯から外に出てみると、佐伯のことがよく分かる。日本から海外に出て、日本のことがよく分かる。地球のことも、地球から外に出てみて、やっと分かる。事実、地球からアポロ船で月に行った宇宙飛行士は、そこに、神を見たとまで言っている。その原理で言うと、生きる素晴らしさは、死んでみないと分からないけど。で結論は、今日のこの瞬間瞬間を精一杯味わって生きることが、如何に価値のあることかと、それに行き付く・・・」と。





(写真は、3月16日に、竹田市の岡城で撮ったモノ)