日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

生き方・・・

 9月5日の民放のテレビで、岩手県一関市在住の藤野静枝(56歳)の腹話術を使っての活動が紹介されていた。14年前から、海外で、ボランティアをしている。渡航費は、全て自費で、活動も全て自費で、お金をもらわない。今までに9カ国で。驚いたのは、全て、その国の言葉で。「ダイちゃん」なる人形を使い、主として、子ども達を対照に。
 最近では、オランダで公演している。それも一人で。子どもが好きだから、自分を試してみたい、自分のしたいことにお金を使いたいと言う。
 学生時代に、既に、岩手県内外の学校や福祉施設、病院等でボランティア公演を行っていた。学生時代に障害児施設で腹話術と出会った藤野さんは、療法としての腹話術の魅力に触れたのだ。
 最近、藤野さんが取り組んでいるのが、入院している子ども達を対象とした臨床公演となっている。
 素晴らしい。
 しっかりとこの世に生きているって感じだなあ。
 私も、頑張ろうかなあ・・・!!

 「宮崎県小児科医会会報第14号」の原稿を募集していたので、以下の内容を送った。
 皆さん、こんにちは。昭和55年3月に宮崎医科大学を離れて、当初は時々宮崎での学会に出席していたのですが、この10年間は殆ど出席してなくて、誠に申し訳なく思っています。
 私の場合は、鹿大卒業後、宮崎の県病16カ月→大学2年半から、佐伯の勤務医10年半余→(19床を持っての)開業医8年半余、更には、福岡県大川市の勤務医2年7カ月→大分市の勤務医2年2カ月、そして、1年間全く仕事をせずにアチコチと海外を旅行(時々篠笛・和太鼓の演奏、タイのチェンマイニュージーランドオークランド→韓国の釜山→バングラデシュダッカ→マレーシア→インドネシアのバリ島→イタリアのフィレンツェ→カナダのバンクーバートロント)し、再び熊本県上天草市立上天草総合病院小児科の勤務医となり(初めのまる1年間は小児科医私1人だったので、娘の結婚式の時以外は、開業医の時の様に1日も休まずに仕事をしましたが)、まる3年間が経ちました。
 来年の5月には、とうとう満60歳となり還暦です。今まで仕事中心の生活でしたが、自分の人生観も、いろんな体験からかなり変わりました。
 来年の4月からは、仕事半分と自分のしたいこと(趣味)半分にすることにしました(幸いなことに、病院にも、も一人の小児科医にも、了解してもらえました)。
 一度限りの人生なので、又、3人の子どももそれなりに巣立っているので、後は、体を壊さない様に、細く仕事を続けながらも、デッカイ夢を抱いて、子どもの様に目を輝かして余生を生き生きと悔いなく送りたいと思っています。
 佐伯市との姉妹都市であるオーストラリアのグラッドストーン市(9年前にも行ってそこで演奏していますが)に来年行く予定にしています。又、佐伯市の友情都市であるハワイのホノルル市にも機会を見て(5年前に、そこでの調印式の時に演奏に行きましたが)行く予定にしています。
 それに、今年の秋に、娘夫婦(娘は、今、カイロプラクターになる為の大学院に通っています)が住んでいるアメリカのアトランタ市に行く予定です。
 以上の3カ所で、日本の「盆踊り太鼓」を披露して、受ければ毎年行ってみようかとも思っています。体力的にも、今から数年間が最後の勝負だと思っています。
 今の職場は、田舎なので、患者さんが少なくて楽です。それに、2人で小児科をしているので昔のことを考えると、天国です。
 今からやりたい世界もはっきりと見つけることが出来て、今は、若者の様に毎日ワクワクした気持ちになっています。
*以下に述べることを本当は書きたかったのだけれども、書けなかった。
 ホントの所、この日本独特の「盆通り」を海外で盛んにして、「世界平和」を願っているのが、私のしたいこと。
 盆踊りは、供養盆踊りなので、亡くなった人もその時に来るし、小さい子どもからお年寄りまで、それに、踊り自体が難しくないので、直ぐに覚えられるし。又、外国の人も気楽に参加できるから。
 で、太鼓打ちは、国際色豊かに子ども中心にと思っている。それ等の子どもの太鼓の指導を自分がしようと思っているのだ。自分がこの世に存在しなくなった後も、自分の弟子が自分の意志を継いで、いつかは、大きなうねりとなって活動してもらえることを祈っているのだが。