日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

狂育・・・

 大分県の教員採用試験後に、突如、今年だけ首になった若い先生達、周りの人の責任もあり、誠に気の毒だなあと思う。
 合格基準もはっきりと示されていない。今も。狭い教育界の中で全てが処理されようとしている。古い体質をまだ持っているのは、教育界以外にも、いろいろある感じだが・・・。
 今回の責任を辿って行くと、市長や知事に辿り着く。更には、官僚、そして、文部科学省の大臣に。となると、やはり、諦めるしかないのかなあ?コロコロ交代になる大臣と、現場の知らない霞ヶ関の官僚では、いつかいつかで、年金問題と同じ感じになり、期待するのが初めから無理かな。早く、小さな政府、大きな地方になってもらいたいなあ。
 一度の試験で、定年まで、終身雇用・年功序列って感じで、どんなに努力してもしなくてもあまり変わらない感じで終わる今の制度、もう一度、真剣に見直すべきだと思う。上級官吏試験、これって、最も古い体質じゃやないのかなあ。
 その職業に就いて、一生懸命にして行く中で、本物に近付いていけるケースが大部分だと思う。その為の研修制度。医師にしても、裁判官や弁護士にしても、そうだ。教員だって、それがあっていいと思う。全て、臨時教員的な身分にして、それから、一般人を入れた客観的な判断で、正式な教員に選ばれる制度を取ったらどうだろうか。ストレートに教育学部を来ている人以外に、一般人もしばしば教壇に立つべきだと思う。学校での親御さんの参観は、常に出来る様にするべきだと思う。
 教員にも生き甲斐があり、そして、生徒にとってもとても楽しい学校であれば、少なくとも、今よりは問題は少なくなるはず。
 今の様に、受験一辺倒の学校であったり、親と教師の間に溝があって、帰っても塾に行っている何て、教育ではなく、子どもと共に育つ共育でもなく、子どもの心に響く響育でもなく、狂った狂育って感じだ。
 自分の大学の時の同級生(女性)で、在学中に、辞めたい辞めたいとしきりに言っていた人がいた。ここまで(専門3年)来たんだから、頑張ったらと、周りが説得していた。で、留年し、やっと国家試験に合格した。初めはそんなボロボロの彼女だったが、最近遭った時には、別人の様に生き生きして、今が一番幸せって感じで言われていた。今は、関東で子ども大好きな小児科医としてバンバン働いているのだ。在学中に同級生の女性が7名いたが、その中で、自分が見た感じでは、今では一番輝いて見えるかな。
 10年経つと、したことの意味が半分になると言う考え方がある。入学した時の価値が、10年後には、半分に、20年後には、更に半分に、60歳過ぎの定年の時には、16分の1でしかないのだ。
 人間は、変わりうるモノ。たった一度の試験だけで、全てが決められは、ホントに困りますネ。敗者復活戦、再チャレンジ、これも、生きる上での醍醐味でしょうか。