日本の心・さいき

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篤姫・・・

 NHKの大河ドラマ篤姫、視聴率が久し振りに上がっているとのこと。篤姫のことは、平成19年4月25日(水)のNHKの「その時歴史が動いた」で、詳しくあった。
 第13代徳川将軍の正室であった鹿児島の島津家出身の「元璋院篤姫(げんしょういんあつひめ)」の行動が明らかにされていた。
 篤姫は、西郷隆盛から、次の将軍を水戸藩から選ぶ様に工作をと密かに言われていた。第13代の自分の夫である将軍は、政治をする能力はなかったが、それでも、篤姫は、夫を立派に立てて仕えた。夫は直ぐに亡くなってしまう。次の第14代将軍は、紀伊藩から選ばれて、西郷隆盛から指示されていたもくろみが失敗してしまうことになる。が、その第14代将軍と朝廷から選ばれたその正室和宮の間をしっかりと支えてあげる。
 しかし、14代将軍も、21歳の若さで亡くなり、第15代将軍が即位する。260年続いた徳川家が、時間の経過と共に崩れてしまうのは、明らかな様にも思えた。(故郷の)薩摩軍が攻撃してくるので、江戸城を出る様に周りが篤姫を説得するが、自害用に持参している短刀を自分の首に付けて、島津家でなく徳川家として江戸城を出ることを強く拒み、周りを驚かす。勝海舟西郷隆盛の力で、血を流すことなく城を明け渡した(無血開城)と言われいるが、その裏には、篤姫の緻密なる工作があった。
 篤姫は、西郷隆盛に、1300字なる捨て身の嘆願書を無血開城の前に送っている。その中で、血を流すことなく事が運ばれるべきだと強く説いている。その内容を見て、西郷隆盛は、無血で、城を相手に開けさせることになる。
 篤姫の平和を愛する気持ちが、男達に、血を流すことなく、戦争をしないで、解決する様にし向けたのである。
 篤姫は、260人の奥女中のその後の結婚や就職などで骨を折り、島津家からの鹿児島に帰る様にとの誘いを断り、徳川家となってからは、故郷に一度も帰ることなく、48歳でその生涯を閉じることとなる。しかし、篤姫は、父からもらった煙を吐く桜島と島津家の家が描かれた一幅(いっぷく)の掛け軸のみ、常に共にして、いつも見ていた。多くの人の世話をして、江戸城を出る時に最後に持っていた所持金は、今のお金にして、わずか6万円(3円)だったとのこと。
 
 今回、篤姫が、嫁に行ったからには、薩摩の人間でなく徳川の人間であるべきだと言うことに気が付いて、それを将軍(夫)に言う場面があった。・・・そうだなあ、何かあれば、実家に帰る女性も時々いるが、これは、いい見せ場だったと思う。婿養子に行った人も、そんな感じになるべきなのかなあ?!

*家内は、鹿児島出身の武士の家系の長女ですが、私にとっては、篤姫的存在?!