日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

医者の開業医って・・・

 私の場合は、開業生活は、8年半余であった。もう、採算が合わなくなると思って、赤字になる前にやむなく閉院してしまった。
 入院設備19床を持って、小児救急中心の365日24時間拘束されての生活だったが、その前の病院生活が(お産が年に500件前後もあった)それ以上に過酷だったので、さほど苦にならなかったが、その8年半余、代診としての他の小児科医の援助を全く得られずに、どこにも行けない事への苛立ちは確かにあったと思う。
 又、経営の能力は、医療が出来るのと別にあるとも痛感した。
 現在、勤務医が激務な為に開業する傾向にある。それに反して病院が減少している。開業にしても、自分が開業した時と今とでは、かなり違ってきていると思う。
 まず、資金だが、開業する時に銀行から「いくらでも貸します」と言われた。金利は、普通の場合よりも医師の場合は少し優遇されていたが、それでもプレッシャーが掛かる。で、自分の貯めてきたお金を使い、それでも足りずに2.000万借りて、賃貸形式で開業できたが、毎月の払いが多くて、勤務医の時の方が手取りが多くなっていた。しかし、それでも、今考えると、やはり開業経験が出来て良かったと本心から思っている。(今では、銀行は、医者と言うだけでは、簡単にお金を貸してくれません!)
 今、再び勤務医をしているが、全く開業した経験がなくて勤務医をしているのと、過去に開業をした経験があって勤務医をしているのとでは、全く違うと思っている。
 いろんなことを学んだ。開業する時よりも、閉院する時の方が大変だった。これって、結婚の場合と少し似ているかなとも思っていた。離婚するエネルギーがあれば、結婚を維持できると言う人がいたが、いつでも閉院する覚悟でやっていれば、トントンでも医療も出来るだろうと思っていたが、違っていた。やってみないと学べない。特に、経営が傾きかけると自分のしている医療もおかしくなり(算術傾向になり)、又、人の管理も難しくなる。
 ある市では、大学の先生が50歳を過ぎて開業し、数年で亡くなられている。そんな例は昔もあったが、今の方が圧倒的に多い。巷の噂では、その多くが働き過ぎが原因とのこと。自分の様に、開業して閉院するパターンも前もあったが、今はちっとも珍しくない。
 億を越えて開業すると、閉院するのは大変だと思う。しかし、どんどん赤字が増えていけば、そうも言っておれなくなる。自分の場合は、幸いに医院が赤字倒産でも、借金がなかったのが幸いだった。又、職員もそれなりに就職先があって、助かった。
 借金を抱えてやむなく倒産したり、肝心の医者が病気で亡くなったりすると、残された家族は大変だ。多くの場合は、まだ、子どもさんが学校に行っている時だけに、尚更だ。
 それでも、今年の医学部の競争率、高いなあ。医者の裏の姿は、何故か、マスコミの前に出てこない。私の所に聞きにくれば、しっかりと教えてあげるのに。


 私の子ども達3人、医者になりたいとはっきり言ったこと、ない。私の生活を見ていて、医者になりたいと思う方がおかしい。子ども達が私を見る姿は、殆ど疲れて横になった所。
 電話は、(宿舎が病院のすぐ傍にあったので)家に帰ってもしばしばあり、当初は、深夜はもちろん、食事中でも入浴中でも、ひっきりなしに掛かっていた。
 初めは、病院からの電話は、家内が全て取っていた。私はきつくていつも家で横になっていたのである。深夜は、家内からいつも起こされていた。深夜電話があると、長女が起きて泣いていた。これでは家庭が崩壊すると思って、家を建て、起こされそうな時は、自分が病院に泊まることにした。
 新築の我が家と病院とは、自転車でゆっくり行っても、10分も掛からなかったが、我が家に泊まることが多くなると、幸いにも、病院からの電話も少なくなっていった。
 で、しばらくすると、家に掛かった電話を取るのは、自分だけとなっていて、家族に迷惑を掛けない様にと、コッソリと深夜に病院に自転車で行っていた。