日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

今、振り返って見ると・・・

 私の生き方、普通の人とは、かなり違っているようで、今まで、多くの人から、いろいろ言われてきましたが・・・。

その1、
 (上)天草に12年間近くいました。で、知った人も誰もいない中で、車も持っていない中で、12年間も、どうして?と、言われていました。
 「車持ってなくて、不自由ないですか?」
 「今まで、それでずっと来ているから・・・」
 「私なんか、ここで車のない生活なんて、とても考えられない!」

その2、
 今の私、アルコール、年に5回も摂れば多い方でしょうか・・・。タバコ飲んだことないし、賭け事しないし、夜出歩かないし、まあ、お金を使うことと言えば、旅行でしょうか・・・。
 「ストレス溜まりませんか?」
 「もちろん、少しはありますが、何とか・・・」
 私の趣味は、独りボランティア演奏と多国語学習がメインの感じで、それに、旅行、詰め将棋、グロブ記載、それに、写真を撮ったり、録画したり、外食したり、それと、看護学校や母親学級などでの講義もそれなりに楽しいですが・・・。

その3、
 医師になって、県病→大学といて、4年間して(正確には、3年10ヵ月して)、郷里の佐伯に帰り、そこにある救急病院に、小児科と新生児・未熟児センターを創設して頂きました。そこで、10年半もいて(独り常勤医8年半)、新生児を含む小児救急医療中心の生活をし、その後、19床を持っての再び救急中心の小児科で、開業しました。
 私も、何故、そんなことが出来たのか、よく分かりません。そんな生き方を、誰にも言われることなく、自分で選んだからでしょうか、それに、若かったからでしょうか。
 佐伯のこの救急病院で、忙しく勤務している時に、ある開業医から、次のように言われていました。
 「開業しないなら、そんなに仕事をするな!開業するなら、一生懸命して仕事して、開業を!」と。
 しかし、私には、開業する気は、開業する半年前までは、全くなく、ずっと、ガムシャラに働き続けていましたが・・・そんな私も、身体の限界と思って、やむなく、開業しました。

その4、
 開業前の病院勤務時代には、最後の方では、朝の7:30から、外来を始めていました。1日も休まず、20:00〜21:00まで、集めて診ていました。その統計も、ずっと、執っていました。
 (41歳で)開業しても、平日の朝7:30からの診療、、閉院の日まで、ずっと続けました。20:00〜21:00は、当然、毎日続け、土曜も日曜も祝日の、休むことなく、仕事をしていました。
 しかし、経営に行き詰まって、閉院となりました。
 そのまま経営を続けていたら、身体、壊して、今のこの世にいる私は、存在しないのではと思っています。その時、本当に、70歳まで生きられればいいと思っていましたから。

その5、
 55歳の時、まる1年間、海外滞在中心の生活をしました。それも独りで。時に、太鼓を持って。お金も、沢山使いました。まあ、それをいつかする為に、お金を貯めていたのですが・・・。
 実際に、海外に滞在してみると、新しい発見、実に多く、長期滞在でないと知り得ないことも多かったと思っています。
 それと同じ事、今の私には、もう、出来ません。出来る時にしていて、本当に良かったと思っています(←家内に深く感謝です!)。

 結論ですが・・・私をじっと見てきている家内の意見ですが、「好きなことしかしてない、やると思ったら、誰から反対されてもしてしまう、それで、ずっと来ている・・・」と。
 そうですね、そうかも知れませんね。
 後、半年で、満70歳になります。身体が壊れると、何も出来なくなるので、それを考えて、無理をしないようにしたいと思います。
 と言いながらも、平成30年12月31日は、(9:00〜18:00まで)当番医、翌日の平成31年1月1日は、(19:30〜23:00)まで、急病センター勤務となっています。(←自分の希望で、そうして頂きました!←これで、最後かな?!)

 追加:(録画していた)BS1での・・・喜劇「病は気から」〜高齢者700人の挑戦〜を見ながら、以上の内容、書きました。高齢者になっても、殆どの人が、やる気を出せば、出演者になれるんですね。