日本の心・さいき

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兄ちゃんが先生に

  「兄ちゃんが、先生になりました。」

 佐伯の新町でやきいもを売っていたおばちゃんがいました。「ヤキイモ屋のおばちゃん」と周りの人は言っていました。いつもニコニコして、感じがいい。深夜、酔った男の人たちがよく買っていました。多くの人が、「おばちゃん、イモ焼けとる?」と聞いてきていました。列が出来ることもしばしばありました。まだ焼けていないこともしばしばでしたが・・・。
 「兄(にい)ちゃん、まけちゃるけんなあ・・・」「兄ちゃん、学生さんじゃないごとあるが・・・」「兄ちゃん、ちゃんと仕事をしよるか?」「兄ちゃん、結婚してるんネ?」「兄ちゃん、何しとるんね、よくここで見るけん・・・」「兄ちゃん、元気がいいなあ・・・」・・・これが、私と「やきいもやのおばちゃん」との間に長く交わされていたいつもの会話の内容でした。
 西田病院の時から、夜の診療を終えて、新町を通って自転車で帰っていましたが、その時、目が合うと必ずお互いに挨拶を交わしていました。今までに200回はゆうに買っていると思われます。いもはいたって健康食品。繊維が多いので、お腹の掃除をしてくれるし、大腸癌を防ぐ意味で注目されているとかいないとか、それに、おいしい。
 この「ヤキイモ屋のおばちゃん」、どう言う訳か、私には、買うと例外なくまけてくれるのです。
 自分がどの様に見えるのか、自分がどんな人間か、その判断は他人がします。決して自分ではないですね。このおばちゃんの「兄ちゃん・・・」と初めに出る言葉が、客観的に見た私の姿をよく現わしていると思い、いつも嬉しく感じていました。何と、それが2~3年どころではなく、はっきりと覚えていませんが、10年近く、続きました。
 それが、おばちゃんの孫が、「たはら小児科医院」に病気で入院してしまいました。そして、バッタリ我が医院の待合室で会ってしまったのです。しまったと思いましたが、いつかはこんな日もくるだろうとは常々覚悟はしていました。
 その時の「ヤキイモ屋のおばちゃん」のビックリした顔。今まで生きてきてこんなに驚いたことなかった感じの顔でした。おばちゃんが、「いじがわるいんじゃあけ・・・」と言って追っ掛けて、私の背中を叩きました。
 ちょうどその時、私の父(佐伯小学校長)が玄関から入って来て、「やきいもやのおばちゃん」は、私の父とも会いました。「やきいもやのおばちゃん」は、私が父の息子であることも、この時、初めて知りました。父から孫が佐伯小学校の時によくお世話になっていたとのことでした。
 父は、若い時、玄関で来客から、「校長先生は?」と聞かれ、その時、父は顔色一つ変えずに、校長室で待つように言い、後で自分が入って行き、その来客の人が「校長先生、意地が悪いわ・・・」と言って冷や汗をかいていたとのこと。
 退院の日(平成3年12月3日)、「やきいもやのおばちゃん」は、孫の主治医である私に、「先生ありがとうございました」と言って、深々と頭を下げて帰って行かれた。
 私の自称「兄(にい)ちゃん」の歴史は、ここで幕を閉じてしまいました。

(令和3年7月9日、少し修正して、記載)

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