日本の心・さいき

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やきいもやのおばちゃん・・・


 佐伯の新町でやきいもを売っているおばちゃん(60歳前後?)がいる。「やきいもやのおばちゃん」と周りの人は言う。いつもニコニコして、感じがいい。深夜、酔った男の人たちがよく買っている。多くの人が、「おばちゃん、いも焼けとる?」と聞いてきている。列が出来ることもしばしば。まだ焼けていない状態であることもしばしば。
 「兄(に)ちゃん、まけちゃるけんなあ・・・」「兄ちゃん、学生さんじゃないごとあるが・・・」「兄ちゃん、ちゃんと仕事をしよるか?」「兄ちゃん、結婚してるんネ?」「兄ちゃん、何しとるんね、よくここで見るけん・・・」「兄ちゃん、元気がいいなあ・・・」・・・これが、私と「やきいもやのおばちゃん」との間に交わされているいつもの会話の内容である。
 西田病院の時から、夜の診療を終えて、新町を通って帰っていたが、その時、目が合うと必ずお互いに挨拶を交わしていた。今までに200回はゆうに買っている。いもはいたって健康食品。繊維が多いので、お腹の掃除をしてくれるし、最近大腸癌を防ぐ意味で注目されている。それに、おいしい。
 この「やきいもやのおばちゃん」、どう言う訳か、私には買うと例外なくまけてくれていた。
 自分がどの様に見えるのか、自分がどんな人間か、その判断は他人がする。決して自分ではない。このおばちゃんの「兄ちゃん・・・」と初めに出る言葉が客観的に見た私の姿をよく現わしていると思い、いつも嬉しかった。何と、それが2〜3年どころではない。はっきり覚えていないが、10年近くになるのは確かである。
 それが、おばちゃんの孫が、「たはら小児科医院」に病気で入院してしまった。そして、バッタリ我が医院の待合室で会ってしまったのだ。しまったと思ったが、いつかはこんな日もくるだろうとは常々覚悟はしていた。
 「やきいもやのおばちゃん」のビックリした顔。今まで生きてきてこんなに驚いたことなかった感じの顔だった!おばちゃんが、「いじがわるいんじゃあけ・・・」と言って追っかけて私の背中を叩くのである。
 ちょうどその時、私の父が玄関から入って来て、「やきいもやのおばちゃん」は、私の父とも会った。「やきいもやのおばちゃん」は、私が父の息子であることも同時に知った。父から孫が佐伯小学校の時によくお世話になっていたとのこと。
 父は、若い時、玄関で来客から、「校長先生は?」と聞かれ、その時父は顔色一つ変えずに、校長室で待つように言い、後で自分が入って行き、その来客の人が「校長先生、意地が悪いわ」と言って冷や汗をかいていたとのこと。
 退院の日(平成3年12月3日)、「やきいもやのおばちゃん」は、孫の主治医である私に、「先生ありがとうございました」と言って、深々と頭を下げて帰って行かれた。
 私の自称「兄(にい)ちゃん」の歴史はここで幕を閉じてしまった。
 以上は、平成4年1月14日に発行した「たはら小児科医院月報」に記載した、「兄(にい)ちゃんが先生になった?!」の内容です。(本文のまま)(開業中、たはら小児科医院月報を、閉院時まで、毎月14日に欠かすことなく、発行していました。)
 相変わらず焼き芋を売っているその「やきいもやのおばちゃん」と、久し振りに(平成24年1月14日の20:00過ぎに、夜の繁華街の)新町で、(母のいる家から家内と一緒に歩いて)帰る時に会いました。(やきいもやのおばちゃんの)年齢は、80歳とのこと。旦那さんは25年前に亡くなり、やきいもを売る仕事は、42年間も休みなく独りで続けているとのことでした。
 「昔の様に売れない・・・膝が悪いので、もう前みたいにリヤカーで運べない。他の人にしてもらっても、人件費が出ないので、それも出来ない。も少し頑張ろうと思う・・・」と言われていました。(私の事も、いろいろ尋ねられましたが・・・)
 「やきいもやのおばちゃん」から、この時、健康の秘訣を直に授かった思いがしてなりませんでした・・・。
 今回も、買うと、沢山袋に入れてくれました。「やきいもやのおばちゃん」の優しさが焼き芋の味に出ていて、家内と楽しく食べました。