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藤井聡太君

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 将棋の藤井聡太七段(17)が、6月4日、棋聖戦・決勝トーナメント決勝で、永瀬拓矢二冠(27)に100手で勝利し、渡辺明棋聖棋王、王将、36)への挑戦権を獲得しました。
 17歳10カ月20日での挑戦は、従来の記録を31年ぶりに更新する新記録となりました。(ちょっと前の話では、コロナ流行で、対局自体がキャンセルになる可能性もあっただけに、良かったですね。)
 デビューから数々の快記録を打ち立ててきた天才棋士が、又、新たな歴史を作り上げました。棋聖戦五番勝負は、6月8日、開幕しますが、相手は、三冠の渡辺さん、今、最強と言われていますから、もしも勝てば、大変なことですね。
 かって、羽生さんが、阪神淡路大震災の時、6冠を取り、翌年、谷川さんに勝って、7冠を取った時には、もう、こんな人、出ないと思っていましたが、先のことは誰にも分からないものですね、ここに、藤井君が現われました。
 この様に育てられた親御さんは、どんな教育をされたのでしょうか?
 それは、羽生さんに関しては、彼が7冠を取った時、その父親(鹿児島県出身)の言葉に集約されている様に、思いました。
 「ある時は、勝ちに安堵し、負けに落胆しながら成長を見守って参りましたが、今回、”王将位及び7冠を預かる”にあたり、将棋は勝ち負けを争うゲームであることは存じておりますが、私ども家族は、現在、複雑な心境です。と申しますのは、阪神大震災の中心地、神戸出身である谷川浩司王将が、力を充分に出し切れないままに終わったことです。大震災による物理的、精神的な痛手、更に、善治の7冠へのマスコミ報道が、谷川王将に重荷になったと思います。7冠奪取、独占など大それた気持ちを持つことなく、一時期、”7冠を預かる”心構えの棋士であると同時に、社会人として更に精進するように望んでおります。」と言われています。父親、素晴らしい方ですね。この父親あっての羽生棋士だと思いました。
 藤井聡太君には、4歳上の兄がいて、父親は、東京に単身赴任している様です。両親も兄も、将棋にはあまり関心がない様で、将棋は、祖母が初めに聡太君に教え、その祖母が直ぐに勝てなくなり、祖父が次に教え、その祖父も、直ぐに勝てなくなり、その後、将棋教室に通うことになっています。聡太君、兄と違って、ゆっくり型なんですが、負けると、大泣きして、根っからの負けず嫌いだったんですね。趣味は、電車とか。
 聡太君の母親は、子どもが好きなことは、何でもどんどんさせる教育方針で、焦らず、遠くから見守る感じに思えます。又、父親は、聡太君に、「キュボラ」のおもちゃを与えていますが(←これで、右脳が鍛えられたのかな?)・・・父親の教育方針、情報が少なくて、よく分かりません。恐らく、両親とも、子どもは子どもと思って、常に冷静に、「遠くからよく見守る」接し方(←理想的)だったんですね。
 反対に、近くから、アレコレ指図して、親の言う通りにさせようとすると、上手く行かないことが多いみたいですね。
 
*私自身は、小学校と中学校では、将棋をよくしていました。高校になると、それが囲碁になり、大学でも、教養部の時は、(初段の人と)よくしていました。その後、詰め将棋を時々する程度になってしまいましたが・・・又、始めようかなあ・・・。