日本の心・さいき

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真剣に今を生きる・・・

 平成5年7月(今から21年前)佐伯市の直川の臨済宗のお寺の寺報16号に載った内容です・・・→
 「真剣に生きる」
 人聞は生まれた瞬聞、死ぬ運命にある。若い多くの人は、死を真剣に考える事を避ける傾向にある。死の事を口に出すと年寄りじみているように言わる。しかし、生あるもの必ず死す。どんなにあがいたって、地位・学歴・貧富・国籍・全く関係なく人間皆、わずか百年足らずで肉体は滅んで行く。体は借り物、魂は不滅。死を真剣に考えれば考えるほど、又、出来るだけ早く考えていればいる程、一日一日を如何に過ごすべきかのより良い結論がその人なりに自然と出て来るはずである。
 「誰でも老人になることは出来るが、誰でも豊かな老年を迎えられる訳ではない。貴方の晩年は今日の貴方の生き方によって大きく左右される。」とゲーテは言っている。
 「生のさなかに我々は死の中にいる、誕生の瞬間から常に人聞にはいつ死ぬかわからない可能性がある。そしてその可能性は必然的に遅かれ早かれ既成事実になる。理想的には、全ての人間の一瞬一瞬を次の瞬間が最後の瞬間になるかのように生きることが出来ねばならない。常にいつ死んでもいいつもりで生きることが出来ねばならない。しかもその為にふさぎ込むこともなく平静にである。この理念を全ての人間に求めることは無理かも知れない。しかし確信を持って言う得るのは、人間がこの理想の精神状態を手に入れる所へ近づくほど、それだけ立派なそして幸福な人間になれるということである。」とは、今世紀の巨匠の一人、英国の歴史学者アーノルド・トインビーの言葉である。 
 年を取れば取るほど苦難苦行をしなければいけないし、いろんな事に挑戦して行かなければいけないと思う。老後に楽をする為に若い時に一生懸命に働くべきだと考えるのではなく、その時その時に、今の自分がどの様にすれば社会に一番貢献出来るかを考えて行動に移すべきだと思う。
 カーライル(1795〜1882)は言っている。「われらの大いなる仕事は、遠方にかすかに存在するものを見るのではなく、目の前に明瞭にあることを行なうことである。」と。
 受験の神様、有坂誠人は言っている、「もう絶対に間に合わない、ただ目の前にあるものだけをひたすらマスターすることに全力をあげる。勉強とは、全部やり終わって初めて、それが良かったのか、悪かったのか、評価が下せるものなのだ。」と。
 ハーバード大学のC・W・エリオット総長は、卒業式の時に、次のように言われた。「君達はあまりにも自分自身のことを考え過ぎている。あまり自分だけのことを考え過ぎるな。他人のことを配慮することが習慣化された人間になって欲しい。そうして正しいと思ったことは勇気を持ってやってくれ、そうすれば君達は報いられるであろう。」と。
 フランクルの書いた「夜と霧」(ナチスのアウシュビソツ収容所のことが書かれてある)を読めば、次の事が解る。「ぎりぎりの限界に人間が置かれている時、唯一の支えになるものは、目的を持って未来を信ずること。あの中で牧師と医師が生き延びることが出来たのは、自分が死ねば同僚が死んでしまうと思ったから、つまり、牧師と医帥は愛の為に生き延びることが出来た。」と。
 私の佐伯鶴城三年の時の恩師、数学の渡辺清一郎先生は(現在、故人となっておられます)、かって次のように言われた。「人間には三つの大き関門がある。 受験と結婚とそして死ぬ時だ。受験勉強なんて特別なものはない、授業即ち受験勉強だよ。採点ミスだと言って職員室に来る生徒がいる。それに輪を掛けて点をあげる教師がいる。つまらん学生になるな。教師、一体自分達が毎日何をしているのか考えてみるといい。口先だけの人間になるな、個性をなくすな。生徒の為に、私にはただこれだけ。」と。

 これが載った時、佐伯市で19床の入院設備を持って、小児科単科で開業している時でした。平成2年11月10日(土)の17時まで救急病院の医療法人西田病院に10年半勤務し、翌日に開院式を茶道でし、翌々日に開院しました。
 今、又、この文章を読むと、これを書いた時の気持ちが思い出されます。
 多くの人に、感謝感謝感謝です。
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20061102/1