日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

広島原爆投下の日・・・

 今日8月6日は、(日本人であれば、決して忘れてはいけない日)広島に原爆が落とされた日です。それも、世界で初めて落とされ、多くの人に(小さな子どもまでも無慈悲に)悲惨な結果を残してしまいました。後遺症で今も苦しんでいる人も少なからずいます。
 私が今住んでいる天草からも、その時の原爆雲が見えたとのことですが・・・私が産まれたのは1949年で、既に、戦争が終わっていましたが・・・。
 物心が付く頃は、周りは、子どもばかりって感じでした。皆、貧しい生活でしたが・・・何故か、子ども達は、そんな中でも、毎日が楽しくて仕方ないって感じで、活き活きとしていて、朝から晩まで、外で元気に遊んでいました。
 それから、日本がどんどん経済的に豊かになりました。「テレビ・冷蔵庫・洗濯機」が持てる様になり、電話を持ち、テレビがカラーとなり、一気にぜいたく感を肌で感じる様になりました。中学生の時は、学校に行っても、昨晩のテレビの内容で話が持ち上がっていました。周りも、どんどん豊かになりました。
 そんな中で、中学の時、経済的な理由で、皆と一緒に修学旅行に行けない人達もいましたが・・・。
 高校入試では、音楽や美術など、9科目もあり(中学3年生の時、私の1学年500人を超えるマンモス学校では、試験が18回もありましたが・・・)、高校の時には、1年生の時から、生物や地学の勉強も、しっかりとさせられましたが・・・で、受験に失敗し、又、学園紛争(同級生で、学生運動に走った人もいましたが・・・)東大中止と続きましたが・・・。
 私の叔父(実母の兄)が、海軍(海軍兵学校卒の少尉)で、小さい時から、戦争の話をよく聞かされました。実父も、陸軍(伍長)まで行きましたが、軍人の道を選びませんでした(←子ども達に、理不尽な軍隊生活を時々話していましたが・・・)。
 2浪の時に下宿させて頂いた家のおじさんが、たまたま職業軍人で、広島の原爆を体験していました。それも、自分の部下の兵隊を引き連れて、暑い中、行進している時に・・・そして、その時の生々しい貴重な話をしばしば聞くことが出来ました。
 核を持つことで安全が保障されると言った発想が明らかに間違っていることを多くの人が気付くべきです(時々、核扱いに関しては、それで決して起きてはいけない事故が起きていますが・・・)。実際に起きた被爆国として、日本はもっともっと世界に核の恐ろしさを訴えて、努力するべきです。
 平和をもたらす為に武器を持って争っても、結果的には、いつまで経っても憎しみが憎しみを生んで、争いが絶えないのが現実の姿です。武器では、争いが止められないことに気が付くべきです。 更には、武器保持でも、同じことです。破壊的な武器であればある程・・・。
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