日本の心・さいき

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趣味人間の人生の全て(その11)


 「再び、大分県での勤務医時代」

 大川のT病院を去る前に、何度も、留まる様に上の人から言われました。しかし、もう、大分に帰ると決めてしまった後だったので、後ろ髪を引かれる思いで、(大変お世話になった)T病院を後にしました。(宿舎も、とてもいい所でしたが・・・)
 移動は、私の最も苦手なことで・・・この頃になると、荷物がどんどん多くなっていて、それも、趣味に関することの方が多くて(茶道の御薗棚や和太鼓まで)、大掛かりでした(去る時に、スタッフから手伝ってもらったのは、佐伯市の西田病院の時だけでしたが・・・←当たり前ですね)。
 大川にいた時に、大きく私の医療を変えることになりました。それは、私なりにしたことですが・・・→久留米市まで行って「中医学」の講義を1年余受けて、積極的に漢方薬を使用する様になったことです。講師は、ハルピン医科大学名誉教授の肩書を持つ(家系が3代漢方医の)C先生で、熊本からわざわざ出向されていました。講義は、先生の書かれた「現代中医診療の手引き」で行われ、分かり易く、かつ、漢方の薬(エキス剤)が具体的に使い易く書かれていました。講義終了後、個人的に漢方の使い方を毎回の様に教わっていました。(その後、中医学に関しては、上天草市立上天草総合病院に就職した当初、(家系が5代漢方医の)中医学のO先生から、月に2回、3年間程、勉強させて頂きました。)
 また、大川市では、私なりの1時間の「独りボランティア演奏」も、回数を重ねるごとに、進化を少しずつ遂げた(?)感じにもなりました。又、大川市にいる時には、語学検定試験にも挑戦し、51歳の秋に「フランス語5級」、51歳の春に「ハングル5級」、52歳の秋に「中国語準4級」と「ドイツ語4級」に受かり、少し、自信を持ちました。
 平成14年5月〜平成16年8月まで、大分市の奥まった所にあるT(H)病院で働きました。就職して休む暇もなく、若い時の様に、救急医療中心に働きましたが・・・当初、時間外に小児を診るのは、実質私1人だけになっていて、歳を考えずに深夜まで働き過ぎて・・・→「流行性角結膜炎」に罹患し、その後遺症で、今も、左の目の視力が低下し・・・眼鏡を長く掛けたままだと、左右差がはっきりするせいでしょうか、疲れる感じになっていますが・・・。
 しかし、その間、私の趣味は、もはや衰えることなく健在でした。
 T(H)病院内で「お茶会」をし、関連施設で演奏をし、又、土曜の午後には、APUのバングラデシュの学生さんから、「ベンガル語」を教わり、その学生さんの紹介で、「インドネシア語」→「タイ語」→「アラビア語」→「トルコ語」と、多国語の世界にどんどん入って行きました。
*ある日、NHKが東京から取材に来ました(↓)
http://www.youtube.com/watch?v=Z1wZgn5aHy0
*写真は、バングラデシュダッカでのものです。