日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

点 滴・・・

 子どもの点滴は、プクプクと太って、血管が殆ど見えない時など、ホントに難しいことがあります・・・神業って感じで入れているナースやドクターがいますが・・・血管がしっかりと見えているのに、新生児・未熟児で血管が細くて、上手くいかないこともしばしばですが・・・。
 簡単にサッと入れば、親御さんが一緒にいてもいいのでしょうが、そうでない時、親御さんがいると医療従事者も人間ですので、(絶対に失敗してはいけないと思って)プレッシャーがかかって、入るはずが入らないって感じの事も現実にありますが(私の様に気が小さい者の場合は特にそうですが?!)・・・。
 病院によって、親御さんが同席していたり、そうでなかったりと、いろいろですが・・・(←ケースバイケースと思いますが・・・?!)。
 私の場合、老眼で近視で乱視があり、おまけに、流行性角結膜炎の後遺症で、左の角膜に傷があって、昔の様に上手に点滴が出来ません。幸いに、周りのナースが上手で、代わりに(より上手に)出来るので、幸いですが・・・。
 ある時、羊水混濁があり、感染を示すAPRのスコアが0→1→2と日増しに上がって、母親も熱が下がらず、細菌感染を疑って、(日齢3から)点滴をして抗生剤を入れることになりました。
 点滴が難しい、入らない、困った・・・→かなり時間を掛けて、やっと入りました。その間、母親、泣いていましたが・・・てっきり、こちらとしては、直ぐに点滴が入らなくて、赤ちゃんを長いこと泣かせてしまって、母親が我が子の泣き声を聞いて、涙したと思って、申し訳ない気持ちで一杯だったのですが・・・傍にいる旦那さんから、「自分のせい(40歳過ぎの初産)でこうなった、申し訳ないって感じになっているだけですよ・・・」と言ってもらえましたが・・・。
 医療は、どんなに優秀な医師がいても、医師だけではできません。ナースの力は、絶大です。それも、観察力があって、ホントに出来るナースであることが必須です。何故なら、赤ちゃんは、急変しますから・・・。
 昭和55年、大分県佐伯市の西田病院に、「ベビールーム」を改良して、「新生児・未熟児センター」を(私の案で)創設しました。当時は、院内に、小児科経験者のナースは誰もいませんでした。ちゃんした新生児センターが県南にはなく、それに、新生児医療に慣れたナースは、全くの皆無でした。
 初めの3カ月間、全て、深夜でも点滴が抜ければ、(私も30歳前後で若かったので)起きて行って、点滴をしていました(当時は、翼状針でしたが・・・)。その3カ月間、ナースは、誰も全く点滴をしませんでした。小児科一般入院も同じで、全て、私が独りで点滴をしていました。
 深夜、見兼ねて、ナースが私にポツッと言いました、「先生、私がしてもいいですか・・・」。私が長く待っていた言葉がそこにありました。それから、次から次へと、点滴名人のナースが西田病院から誕生して行きました。
 今は、もう、点滴は、ナースに頼りっ切りですが・・・(ナースの皆さん、ありがとうございます、点滴を入れ切れるナースは、私にとって、女神様です・・・合掌!)