日本の心・さいき

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続・北朝鮮・・・

 北朝鮮の動きを見る時、金正恩(一族)と軍部と民衆の3つの立場で見る必要があると思います。
 「金正日」の場合、軍部と密着していた感じだったのですが、次第に、民衆寄りになりつつありました。それが、スイス留学5年もし、東京ディズニーランドにも来たことのある「元帥・金正恩」の場合は、(私見ですが)更に加速して、もっと民衆寄りになっていると思います。
 しかし、軍部の力が強くて、「金正日」の時に、軍部をコントロールできるのは、かろうじて「金正日」しかいなかった感じです。そんな「金正日」が、軍事顧問として信頼していたのが「金永春(キム・ヨンチュン)」でした。
 「李英鍋」よりも6歳年上の「金永春」は、「金正恩」の思いを完全に無視して、3月13日に「光明星3号」を勝手に打ち上げました。
 この時、打ち上げる情報が、既に「金正恩」の耳に入っていて、「金永春」に大恥をかかせて失脚させようとしたのが、「李英鍋(リ・ヨンホ)」でした。極秘の技術団を派遣して、発射直後に空中爆発する様にしたのです。その4時間半後に、堂々と失敗を発表したのです。それも、「金日成」の生誕100年周年を記念した番組中に。北朝鮮が国策の非を認めたのは、拉致以来のことでした。これにより、「金永春派」(守旧派)は、舞台から消えました。
 その後、当然の様に、朝鮮人民軍部内では、「金正恩・李英鍋派(新興勢力派)」が実権を握ることになりました。
 「李英鍋」と言えば、「金正日」の告別式の時、先頭の左右に分かれて、「金日恩」と歩いた人物です。「金正日」と同年の生まれで、彼の父「李鳳秀(リ・ボンス)」は、「金日成」の家庭医でもありました。又、「李鳳秀」は、平壌市にある「万景台(マンギョンデ)革命学院」の校長として、教育に携わっていました。「李英鍋」は、父親が校長のこの学校で過ごしました。この時の同級生に、金正日の妹の「金敬姫キム・ギョンヒ)」の夫の「張成沢(チョウ・ソンテク)」がいました。
 「李英鍋」は、「張成沢」の為にも活躍していたのですが、父親が亡くなった後は、バックがなくなった感じで、出世が遅れてしまいました。そんな時、2.002年、その前年に5年間のスイス留学から帰った「金正恩」が帰国しました。「金正日」が、「金日恩」の帝王学教育を「張成沢」に任せ、「張成沢」は、最大の信頼を寄せる「李英鍋」にそれを託したのです。
 「李英鍋」と「金正恩」の関係は、教師と生徒の関係でした。皆の前では、持ち上げるが、二人だけになると全く違っていて、「金正恩」は、言われるままに動くだけでした。つまり、実際には、「李英鍋政権!」だったのです。「李英鍋」は、「金正恩」が積極的に進めようとしている「親米路線」にも反対でした。更には、「次帥」でなく、「元帥」まで求めてきたのです。
 苦悩した「金正恩」は、やむなく、(金正日の妹である)叔母の「金敬姫」に相談しました。(←「金正恩」は、この叔母とは、普段は、疎遠の関係にあったのですが・・・)
 「金敬姫」は、「(個人的に異常に愛情を注ぐ感じの?)崔竜海(チェ・リョンヘ)」と密かに策略を練りました・・・→そして、「金正恩」に対して野心を抱いているとの罪で、又、「金敬姫」は、「あの男は今排除しないと金一家がクーデターに遭う」と「金正恩」に言って、「李英鍋」を失脚させることに成功したのです。(←北朝鮮にとっては、一大事なことでした!)
 今、北朝鮮の最大勢力である朝鮮人民軍のトップには、軍歴が全くなくて7月17日に元帥に昇進した「金正恩(29歳)」がいます。その下に、同様に軍歴のない「崔竜海」、「金正覚(キム・ジョンガク)」「玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)」のトロイカ体制となっています・・・。
  今後、軍を上手く「金正恩」が統制出来て、その上で、「金正恩」が思っている経済政策がどんどん進められるかどうかが問題だと思います。

*参考図書:平成24年8月4日号の週刊現代