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退職後の雑感(176)

  「退職後の雑感、仕事と同時進行」

 「たはら小児科医院」を入院設備を持って、小児科だけで、開業していましたが、経営的に行き詰まり、8年半余後に閉じました。閉じたのは、平成11年5月31日でした。
 多額の借金を抱えることなく終えて、ホント良かったと、今は、思っています。
 土台、19床での小児科単科の開業、無理だったなあと、今になって見れば、思えます。当時は、それなりにやる気満々で、ホントに、365日24時間って感じで、他のドクターの応援なく、頑張っていました。実際には、応援、頼んだのですが、出来ないと言われ、最後まで、小児科医私独りで頑張りました。
 毎日、20時に集めて診ていました。もちろん、ちょっとその時刻に遅れたりしたことも多かったのですが、又、深夜0時過ぎると、きつくて、診たくなかったのですが、眠い目をこすりながらも、我慢して、診ていました。平日の朝は、7:30に一度も遅れることなく、診療を始めていました。多い時は、9:00までに(朝の1時間半で)、30(~50)人程、診ていました。
 幸いに、運が良かったのでしょうか、患者さんに恵まれて、死亡診断書一通も書くことなく、開業生活が出来ました。
 閉院して、職員が誰もいなくなって、家内と二人だけで後片付けをする時の空しさ、今、思い出しても辛いです。が、それと真反対に今があると思えば、それも、貴重な経験でした。
 それから、福岡県大川市大分県大分市戸次→熊本県上天草市→宮崎県延岡市と転々と移動し、やむなく、永い単身赴任生活もしてきました。(←私が一番避けたかったことですが)
 亡くなった母から、次の様に、言われたことがありましたが・・・→「仕事以外に、趣味をした分だけ、得したね!」と。
 そうですね、もちろん、ここまで無事に来れたのは、多くの人のお陰ですが・・・それに、私に沢山の趣味があったことも、大きな要因だと思っています。
 今思えば・・・→毎日、その都度、統計を執ることも、そして、開業しても、月報を14日に遅れずに(←西田病院時代から、毎月、投稿していましたが)、ずっと出し続けたことも、そして、平日に昼、職員に、茶道を覚えてもらったことも、私の趣味でした。

*写真の左の緑の屋根の建物が、かっての「19床のたはら小児科医院」でした。今は、駐車場になっています。

 (令和4年6月30日、少し修正して、再掲)