日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

生き方の変化

 今回の東日本大震災で、若者の生き方の価値観に変化が見られる様だ。いや、若者だけでなく、多くの人が、生きる意味を考え直したのでは・・・。
 この先、大地震や大津波で全てを失うかも知れない・・・。そう考えると、今、この瞬間を如何に生きるかを深く考えざるを得なくなる。
 同じ環境にいても、人それぞれ、思いは違うが・・・。(自分の親を含めて)認知症の人がが自分の周りにいるけど、それにも、いろんな段階があって、ある程度過ぎると、仏さんみたいな感じになっているケースが多い気がしている・・・?!
 周りの介護は想像以上に大変なケースが多いけど(亡くなられた俳優の長門さんも、奥さんの介護で大変だったと思うけど・・・)、それなりに、介護する側も、得るものもあって、全てを失う訳ではない様にも思えるけど・・・?!
 施設で、身内が誰も来なくて、寝たっきりで、寂しい思いをしているケース・・・これは、出来るだけ避けるべきだと思う。
 やはり、人間は、孤独では上手く生きられない。22日の佐伯市で行われた「東日本大震災支援・佐伯ふれあいチャリティーショー」では、途中で、亡くなった仲間の○○美○子さんの供養の一環として、ステージ上で、旦那さんに多くの人が花束一輪ずつを捧げていたけど・・・。多くの仲間に惜しまれて、最後まで、幸せな生涯を送っているなあと思ったけど・・・。
 大震災・大津波原発事故、それらは、確かに不幸な出来事だが、それから得るものも、確かにあると思う。その中の一つが、多くの若者が既に気付いたこと・・・→「今を生きる、今を大切に生きること」そして、「家族との、地域との、多くの人との絆」の大切さだと思う。

 以下は、20年程前に私が書いた内容です。

《真剣に生きる》
 人聞は生まれた瞬聞、死ぬ運命にある。若い多くの人は、死を真剣に考える事を避ける傾向にある。死の事を口に出すと年寄りじみているように言われるる。しかし、生あるもの必ず死す。どんなにあがいたって、地位・学歴・貧富・国籍・全く関係なく人間皆、わずか百年足らずで肉体は滅んで行く。
 体は借り物、魂は不滅、死を真剣に考えれば考えるほど、又出来るだけ早く考えていればいる程、一日一日を如何に過ごすべきかのより良い結論がその人なりに自然と出て来るはずである。
 「誰でも老人になることは出来るが、誰でも豊かな老年を迎えられる訳ではない。貴方の晩年は今日の貴方の生き方によって大きく左右される」とゲーテは言っている。
 「生のさなかに我々は死の中にいる、誕生の瞬間から常に人聞にはいつ死ぬかわからない可能性がある。そしてその可能性は必然的に遅かれ早かれ既成事実になる。理想的には、全ての人間の一瞬一瞬を次の瞬間が最後の瞬間になるかのように生きることが出来ねばならない。常にいつ死んでもいいつもりで生きることが出来ねばならない。しかもそのためにふさぎ込むこともなく平静にである。この理念を全ての人間に求めることは無理かも知れない。しかし、確信を持って言い得るのは、人間がこの理想の精神状態を手にいれる所へ近づくほど、それだけ立派なそして幸福な人間になれるということである」とは、今世紀の巨匠の一人、英国の歴史学者アーノルド・トインビーの言葉である。
 年をとればとるほど苦難苦行をしなければいけないし、いろんな事に挑戦して行かなければいけないと思う。老後に楽をする為に若い時に一生懸命に働くべきだと考えるのではなく、その時その時に、今の自分がどの様にすれば社会に一番貢献出来るかを考えて行動に移すべきだと思う。
 カーライル(1795〜1882)は書っている。
 「われらの大いなる仕事は、遠方にかすかに存在するものを見るのではなく、目の前に明瞭にあることを行なうことである」と。
 受験の神様、有坂誠人は言っている、「もう絶対に間に合わない、ただ目の前にあるものだけをひたすらマスターすることに全力をあげる。勉強とは、全部やり終わってはじめて、それが良かったのか、悪かったのか、評価が下せるものなのだ。」と。
 ハーバード大学のC・W・エリオット総長は、卒業式の時に、次のように言われた。
 「君達はあまりにも自分自身のことを考え過ぎている。あまり自分だけのことを考え過ぎるな。他人のことを配慮することが習慣化された人間になって欲しい。そうして正しいと思ったことは勇気を持ってやってくれ、そうすれば君達は報いられるであろう。」と。
 フランクルの書いた「夜と霧」(ナチスのアウシュビソツ収容所のことが書かれてある)を読めば次の事が解る。「ぎりぎりの限界に人間が置かれている時、唯一の支えになるものは、目的を持って未来を信ずること。あの中で牧師と医師が生きのびることが出来たのは、自分が死ねば同僚が死んでしまうと思ったから、つまり、牧師と医帥は愛の為に生き延びることが出来た」と。
 佐伯市中川区に住まれている私の佐伯鶴城三年の時の恩師(現在、故人)数学の渡辺清一郎先生は、かって次のように言う言われた。
 「人間には三つの大き関門がある。受験と結婚とそして死ぬ時だ。受験勉強なんて特別なものはない、授業即ち受験勉強だよ。採点ミスだと云ってて職員室に来る生徒がいる。それに輪を掛けて点をあげる教師がいる。つまらん学生になるな。教師、一体自分達が毎日何をしているのか考えてみるといい、口先だけの人間になるな、個性をなくすな、生徒の為に、私にはただこれだけ。」と。
 平成2年11月10日(土)の17時まで救急病院の医療法人西田病院に10カ年半勤務し、翌日に開院式を茶道でし、翌々日に開院し、入院べット19床の小児科医院をしています(・・・→その後、8年半余で閉院となっていますが・・・)。

http://www.youtube.com/watch?v=A5yM4AsZn0c
http://www.youtube.com/watch?v=r0PvfwsfbFU