日本の心・さいき

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続・インフルエンザの歴史・・・

 一昨年の6月、佐伯市姉妹都市であるオーストラリアのグラッドストーンに行って帰る時、日本の成田空港では、物々しい感じのチェック体制だった。で、私もウイルスを持っているかも知れないって感じで、予定を1週間程延長して、勤務に就いた。あれって、一体、何だったのだろうか?
 病院では、新型インフルエンザに備えて、宇宙服を来た感じでの訓練まであったけど・・・。
 で、実際は、新型と言われたインフルエンザウイルスは、H1N1で、既に抗体を持っていた人が多く、それによる死亡者は、いつものインフルエンザによる死亡者よりも多くなく、むしろ少なかったのだが・・・(←ここのところは、マスコミで、強調されていなかった様だったが・・・?!)
 「前橋レポート」なるものがある。「ワクチン非接種地域におけるインフルエンザ流行状況」の内容で、医療関係者が中心になって大掛かりに行われている。
 ・・・その内容は(調査した1984年は、大流行の年)、医療関係者も驚く程の結果だったのだが・・・→ワクチンを打たなかった方が、比較にならない程、自然感染によって強い免疫力が付いていた。自然感染すると、翌年同じ型(A香港型、Aソ連型、B型)が流行した場合でも、ほぼ完全に掛からなかったし、3年経過すれば、その防御率は下がるものの、それでも、感染したことのない人とは大差があった。更には、症状の出ない不顕性感染が20%もいた。集団接種をしている高崎市との比較でも、インフルエンザワクチンをやめたことによる前橋市の死亡率が上がっている事実がなかった。(http://www.kangaeroo.net/D-maebashi-F-view-no-6.html・・・←驚きですね!)
 更にさかのぼると、大正時代のインフルエンザ論争があった。(・・・←笑っちゃいますね!)
 ・・・その内容とは・・・→(エッエッ!)大正時代、日本の学界を真っ二つに分けた大論争があった。結局、大論争の結果、決着の付かないまま、二種類のワクチンが作られた。インフルエンザの原因として、伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)では、インフルエンザ菌と肺炎球菌の二次感染が原因として両方の菌の混合ワクチンが、北里研究所では、インフルエンザ菌自体が病原であるとして、インフルエンザ菌のワクチンが作られた。さて、どちがら効くのか大論争に。帝国議会でも取り上げられて・・・。
 現在の私たちであれば、その騒動の馬鹿馬鹿しさがよく分かるのですが、当時の偉い人たちは、それを真面目に討論していました。そして、当時の内務省にしても、無効だという人の意見を無視して、「インフルエンザの予防接種をするように」と国民に訓令を出していたのです。
 インフルエンザ菌と肺炎球菌は、常在菌として、多くの人が持っています。が、その多くで、発病しません。免疫力が低下すると、発病します。インフルエンザ後のお年寄りの肺炎では、その多くが、免疫力が低下したことによる細菌性肺炎によるものです。

*参考図書:インフルエンザワクチンはいらない 母里啓子 双葉新書 2010年12月発行 (平成23年2月15日、天草市本渡の書店にて購入)