日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

昔の話・・・




 8月19日(木)の13時より、ホテルに隣接した建物の中にある映画館で、「ベスト・キッド」の映画を見た。(保険証を出してその年齢を証明して)我々遊び人の2人、高齢な為(?)、2人で2000円で入れた。
 映画の内容・・・→父親が死亡し、仕事の関係でデトロイトから母と一緒に北京に来た男の子が、いじめに会う。その男の子がジャッキー・チェンから手ほどきを受けて、次第に強くなる。そして、いじめっ子を決勝戦で負かす。
 それまでも「ベスト・キッド」の映画は、自分の子ども達は、3つ共見ているが・・・今回は、ジャッキー・チェンが出ていることで、それなりに興味深く見れた。(とてもいい映画ですね!)
 その後、墓に捧げる花を用意して、タクシーで家内の母親(以下義母)の家に行き、そのままタクシーに義母も乗って、家内の父親の墓参りをした。(しばらく参りに来なかったので、申し訳ありませんでしたと言う気持ちで、一杯だった。)
 義母の家の階段には、7人の孫の写真がズラリと飾られている(全て、孫の写真)。長女が、マメに義母にしばしばハガキを出していることを初めて知った。返事を出してないのに、申し訳なくて・・・と、義母は言う。
 義母は、現在8○歳。鹿児島女子師範学校在学中に、学徒動員となり、愛知県の名古屋→岡崎と行き、そこで兵器を作っていたとのこと。そこに行った同級生(40数名)は、体が大きい人が多くて、服が合わなかった人が多かったとのこと?!その時、体が弱いことなどでそこに行けなかった(数名の)同級生は、鹿児島の空襲で、不幸にも全員亡くなったとのこと。
 岡崎で終戦を迎えて、(その日か翌日に?)鹿児島に帰る時、車内が一杯で乗れなく、窓に手を掛けたままで、汽車が動き出し、しばらくして、(幸いに)中にいた人が手を引っ張ってくれて、車内に入れて命拾いしたとのこと。しかし、中は、全く身動きできない状態だったとのこと。
 食事は、「カタパン1袋」と「煎りダイズ1袋」のみ。しかし、それを食べるとお腹の調子が悪くなるので、それも、少ししか食べなかったとのこと。
 2〜3日(?)かけて、鹿児島県着いたが、「竜ケ水駅」辺りで汽車が止まって、それからテクテク暑い中を、線路の上を歩いて鹿児島の駅まで帰ったとのこと。
 鹿児島の駅(今の鹿児島中央駅)では、兵隊さん達がズラッと出口に並んでいて、そのみすぼらしい姿に驚いた(!)とのこと。兵隊さんから「食べるものがないんで、何か恵んで下さい・・・」と言われて、持っている「カタパン」と「煎りダイズ」を皆が上げたとのこと。その時、鹿児島市の中心は、正にずっと一面、焼け野原だったとのこと。
 現在生存しているその同級生が、今年の8月に、その時のことを思い出して原稿を書き、それを集めて小雑誌にして発行している。(凄いエネルギーだなあ・・・!)
 義母は、かって大学病院に入院したことがあり、義父には、主治医から「後、奥さんは1週間です!」と告知されていた。それが、説明を受けた方が先に亡くなり、又も、命拾いした義母は、現在、それなりに元気で、この日は、戦後の面白い話をどんどんしてくれた(こんなに話す義母、初めて見た。)・・・→夜も更けて、遅くなったので、タクシーに乗って宿泊ホテルに帰った。(義母が生徒に教えていた教科が、何と、体育だったとのことで、これには、家内もそんな話を聞いていなかったみたいで、驚き!)