日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

還暦での挑戦(その22、誕生日ケーキ)

6月2日(火)
 パワーポイントを使って、日本の文化がよく紹介できたと思った。スライドの中で、書道で3通りに書いた「夢」の字を見せて、子ども達の夢を尋ねてみた。10年前の新聞を見せて、夢が叶ってこんな感じで今まで海外7カ国で演奏できていると言う話もした。
 子ども達の多くは、将来の夢をしっかりと持っていた。科学者やパイロットや音楽家や野球の選手やサッカーの選手などは、日本と同じ感じだが、女の子にナースや保母さんが少なくて、男の子に軍人が多かったのは、意外であった。第一次世界大戦の時、それで最も死傷者を出した国は、オーストラリアの兵隊だったとか。それをオーストラリア人は、誇りに思っているとか。
 日本地図をフリーハンドで描いて、日本での70万人以上の政令指定都市に、多い順に印を付けていった。その前に、知っている都市を尋ねてみると、大きな子は、長崎や広島を知っていた。日本に行った時に、時間があれば、是非、そこにある原爆記念館に行って欲しいとお願いした。又、日本人の多くは、核を落としたアメリカを恨んでいないと言う話もした。(ダッカでは、どうして日本人は、アメリカ人を恨んでいないのかと何人もの人から尋ねられたが、ここでは、そんな質問をする人は、皆無であった)
 自分の太鼓演奏が少なかったせいか、7回もクラスを交替していつものスピードでどんどん進んでいったのに、汗は出ていてシャツはびっしょりだったが、あまり疲れていなかった。
 帰りに、明日演奏予定のシャネル校に寄ると、自分が今回持ってきた太鼓が2つ、袋に被われていた。明日は、3つの太鼓で演奏しよう。
 バックパッカーズに戻ると、リンダさんが、「遅くなってご免なさい、知らなかったので・・・」と言って、誕生日ケーキを持ってきてくれた。そこにいた息子さんと宿泊客のイギリス人とインド人とフィリピン人と一緒に美味しく食べた。その美味しさよりも、リンダさんの優しさに心打たれた。折しも、この日は、日本にいる私の次女の誕生日だった。忙しさで、忘れるところだった。
 今日はとてもいい日だったと思った。月が大きく輝いて、星が見えにくくなってはいるが、そんな中でも、南十字星は、しっかりと輝いて自分を見ている感じだった。