日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

マリー・キュリー

 マリー・キュリー夫人(Marie Curie:1867〜1934)のイメージを多くの人はどの様に持っているだろうか?高校の物理の教科書に彼女の写真が載っていた。美人で賢明、非の打ち所のない才女って感じにずっと思ってきていた。
 彼女は、ノーベル賞を2度も取っている(1903年にノーベル物理学賞、1911年にノーベル化学賞)。
 彼女の世の中に及ぼした功績は高く、原子力の草分け的存在になっている。つまり、それまでは、「原子は安定で不変」と思われていたのだが、ラジウムを例にして、原子そのものから放射線を発していることを見出したのである。彼女の放射能の研究により、近代の量子論素粒子論が華開くことになる。
 そんな妻としても母としても研究者としても完璧に思われていたキュリー夫人のイメージと反対に、当時マスコミを騒がせた出来事があった。
 共にノーベル賞を受賞した夫のピエール・キュリーが馬車にひかれてなくなった後、マリーは恋をした。相手はピエールの弟子の物理学者ポール・ランジュヴァンだった。妻との離婚問題に悩むポールの相談相手をしている内に恋愛へと発展してしまったのだ。これをマスコミが大きく報道した。
 マリーが一人の女として彼に宛てた内容とは、「あなたが彼女(彼の妻)といると分かっている時は、私の夜は恐るべきものとなって、眠れません」とある。マスコミから非難を受けたマリーはこの時44歳。この恋は成就せず、その後黙々と研究を続け、被爆で原因でか、マリーは白血病で亡くなってしまった。