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退職後の雑感(448)

  「退職後の雑感、私の人生」
 
 団塊世代なので、競争をアチコチで強いられましたが、幸いに、多くの人に支えられて、何とか、自分のペースが保てて、無事に、ここまで来れました。
 大学の医局を卒後4年で離れましたが・・・私が属した新設医科大学の医局では、私が、最も早く離れたことになりました。医局を出る時、医局長から強く反対されました。でも、私の意見を通しました。そんな医局長も、しばらくして、医局を出て、その後、しばらくして私に会った時、「〇〇先生(私)の方が大人だったよ・・・」と言ってもらえました。
 それから、一匹狼で、アチコチ就職して、いろんな事を経験しました。
 身体が壊れると思って、やむなく、41歳で、開業をして、それも、救急中心の医療で、入院も19床も持って頑張りましたが、9年足らずで閉院にしました・・・今思えば、いい経験をさせて頂いたと思っています。
 しかし、忙しい仕事の合間に、趣味に凝りました。
 職場を代わる時だけでなく、勤務医の時も、海外旅行をしばしばしました。それも、半分は、独りで、永い時は、1ヵ月以上。
 茶名を頂き、書道の雅号も頂き、フランス語5級、韓国語5級、中国語準4級、ドイツ語4級の試験に合格し、それ以外の多国語にも懲りました。和太鼓の試験も受けました。沢山の施設で、篠笛・和太鼓独りボランティア演奏をしました。海外でも、延べ10回程、自分なりの篠笛・和太鼓の演奏が出来ました。本も、自費出版で2冊出版し、全国の医学部の図書館に置かせて頂きました。医師国家試験の小雑誌も、作成しました。
 70歳で仕事を完全に辞めました。70歳から(繰り下げして、有り難い)年金を頂き、貯金も、老後の分も、それなりに貯めることが出来ました。今は、趣味三昧で、家内と仲良く老後を楽しく過ごしています。
 実際には、いろんな選択肢があったと思いますが・・・悔いはないです。
 中にずっといると周りが見えなくなります。そうでなくても、医師の場合は、競争競争で、素直に今まで来ていますから・・・?!
 人生、全ては、自己責任だと思っています。自分で決めて失敗しても、悔いはないです。真面目に生きていれば、全てが、その後の人生の肥やしとなります。
 「時は今!」の精神で、毎日毎日を噛み締めて生きています。

*時間外に、沢山の患者さんを診てきました。(→それに、新生児も診てきました。)
 医学生の講義や、看護学生の講義も、してきまし、(依頼されて)講演も、少なからず、してきました。楽しかった思い出も、沢山あります。
*統計を永いこと、執っていました。時間外患児の統計での9割以上は、私が診た患児数です。

 (令和5年5月4日、記載)