日本の心・さいき

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飢餓の島

  「飢餓の島」

 戦争で生き延びた人は、亡くなった人の分まで、余生をしっかりと生きなければいけないと思います。又、戦争を経験していない人は、平和の有り難さをもっと感じる必要があると思います。軍備に多額のお金をつぎ込むよりも、もっと価値のあるものにつぎ込むべきですが、今の世の中、どうでしょうか?多くの政治家が、平和の尊さを自覚して、広い立場に立って、行動に移すべきだと思います。

 以下は、(今は、亡き)私の叔父が書いた「饑餓の島」の一部です。
 叔父は、衛生兵でした。胃がんがあり、その術後に、あっけなく、心筋梗塞で亡くなりました。生前は、戦争時の飢餓の島のことを、私は、何度も聞かされました。

  ・・・今は、極限との闘いで、死を考える前に食うことを考えるばかりだ。戦争をしたくても、銃も弾も食料も体力も気力も底をついている。目の前の作業している姿は、子どもの時にお寺で見た地獄の絵と同じだ。肋骨の数が良く分かるし、胃の部分は膨れ、足首は大きく、栄養失調の状態だ(叔父は、この時、衛生兵として赴任)。付近の椰子林は切り尽くしてしまい、パパイヤの木の芯を食い、雑草や木に「うさぎ」なんて名前を付けて食う。・・・歳は若くても、体は老人だ。野糧収集に出たまま、体力尽きて帰って来ない人もいる。禅僧が栄養失調寸前まで、自分を律し、妻も娶らずに生涯が送れる気持ちが分かる様な気がする。・・・今は、食う為に生きるのであって、生きる為に食うのとは違う。極限の生活をした人のみが分かる言葉だ。・・・戦友や患者が亡くなって埋める時に出る言葉は、いつも、「君達は埋めてくれる人が居る間に死亡して幸せだ。自分が死んだら、誰が埋めてくれるのだろうか?」だ。・・・
 
 この本を書き上げたからでしょうか、叔父は、安心し切った感じになって、旅立って行きました。

インドネシアのバリ島のサヌールに、1ヵ月間(2005/3/1~3/31)、独りでいました(ウブドで2泊)。写真は、その時に、撮ったものです。

(令和3年7月5日、少し修正して、記載)

 

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