日本の心・さいき

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退職後の雑感(292)

  「退職後の雑感、長崎旅行(その4)」

 10月27日(木)・・・3泊4日の長崎での滞在を無事に終え、11:45に、長崎駅を出発して、17:16に、佐伯駅に着きました。長崎駅武雄温泉駅博多駅大分駅佐伯駅と、行った時と全く逆方向で、帰りも同じ5時間以上掛かっているのに、行く時よりも短く感じました。
 昼食は、長崎駅で買った弁当を、夕食は、佐伯駅前の金水苑の「番匠亭」で、松花堂弁当と、卵かけご飯セットを摂りました。卵は、烏骨鶏の卵で、美味しかったです。
 そこから歩いて帰ろうと家内が言いましたが、私の意見が通って、タクシーで帰りました。乗って、自宅に着く間際に、私が身に付けていた背負うリュックがないのに家内が気が付きました。そうなんで、旅を終えて、ホットして、気が抜けて、「番匠亭」に置き忘れてきたのでした。直ぐに、乗っているタクシーの運転手さんに事情を言って、ユーターンして、食事した所に行くと・・・→「番匠亭」の人、私を追っ掛けて行ったけど、既に、遠くにいて、追いつかなかったとのことでした。迷惑掛けました。ありがとうございました。海外だど、もう、なくなっていても、不思議でないかな・・・?!日本は、安全です!
 旅をするのも、少し、上手になったかなと思います。3泊もすると、衣類の手入れも大変で、今回は、前もって到着の日に着くように、衣類を中心に、宿泊予定のホテルに送り、又、帰る時にも、自宅まで宅急便で送りました。(→送った日の翌日の午前中に、自宅に着きました。凄いですね!)
 今回も、いろんな勉強が出来ました。長崎って、自転車に乗っている人、殆どいませんね。坂が多いからですね。で、駐車場代、とても高いんですね・・・。夜の観光バスのガイドさんの説明では・・・→原爆で、(プルトニウムを落として)亡くなった長崎の方が、(ウランを落とした亡くなった)広島よりも少ないのは、この坂道の地形にあったからで・・・「怒りの広島」「祈りの長崎」と言われ、長崎には、広島のような原爆ドームなどの被曝の痕跡が残されてないのは、アメリカ側が、(浦上天主堂にいる)同じキリスト教徒に上から落としたと言うことで、世界中のキリスト教徒から非難されるのを恐れたからだとか・・・?!(←正に、本来の戦争の内容でなく、日本人に対してのジェノサイドの一端では?!)
 今回は、以前訪れた「平和公園」や「原爆資料館」などには、行きませんでした。自分が産まれた時、既に、戦争は、終わっていました。叔父や父から、よく、戦争の話を聞いていました。平和は、尊いですが、残念なことに、その後、今も、世界のアチコチで、戦争が続いています。日本人は、平和の有り難さをもっと認識して、それなりにもっと世界へ訴えるべきでは・・・!。
 この日の夜、20:30より、オンラインで、中国人の先生と男性2名女性2名の生徒で、「中国語講座」をしました。
 早く、元のモードに戻らなくては・・・。

 (令和4年10月31日、記載)