日本の心・さいき

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10年前の日記

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  「2011年4月3日の日記」

(10年前の日記ですが・・・→)

 金曜に帰って、土日、佐伯市を散策した。(後で、花粉症による鼻炎でちょっと難儀したけど・・・)
 いろんなことがあった。茶道の師匠が、入院していた。(日曜に見舞いに行ったけど・・・)佐伯市の恒例の春祭りは、中止。それで、その際行われる「太鼓演奏」や「お茶会」も、楽しみにしていたけど、中止。
 いつものメインステージになるべき所に行ってみると、車が沢山停まっていて、人がパラパラいた。寂しいなあ。桜の花も、まだ、満開でなく、来週満開かな?。何となく寂しげに咲いている感じに思えるけど・・・?!
 土日と母の所に行って、笛を吹いた。土日共、「君が代」を吹くと、決まってニッコリと笑って拍手してくれる。日曜に行って、土曜にも来たことを言っても、全く覚えていない。「クルクルパーになっている、どうもこうもならん・・・」と言う。しかし、顔は終始とても和やかだ。「歳だから、しょうがない。私(息子の自分)が分かって、自分自身がおかしいと分かっている限り、大丈夫!」と言って、母を慰める。今回の笛の曲に、「上を向いて歩こう」を付け加えた。
 茶道の師匠を見舞いに行った時、師匠が言われていた、「わたしゃ、100歳まで生きるで・・・。お茶をしていたからこそ、皆が集まってくれるし、役に立てるし、元気でいられる・・・」と。
 含蓄のある言葉だなあ。
 明日の午後には、もう、佐伯にはいない・・・。
 佐伯市大正琴のクラブが積極的に老人施設を回っている。そのリーダーと電話で話をした。何と、1カ月に22回(!)も、佐伯市の老人施設で演奏して回っているとのこと。実際は、それ以上に、頼まれているとのこと。是非、一緒にと言われた。今年の5月の連休明けから、一緒に演奏して回ろうと思っているのだが・・・。
 以上は、10年前の日記で、茶道の師匠も私の母も、まだ、この時には、健在でした。10年で、身の周りが大きく変わりますね。日記を付けていると、思い出されていいのですが、それよりも、今は、1日1日、一瞬一瞬、思い出深く生きようと思っています。

*令和3年3月2日に「住吉御殿」(←桜の名所)で撮った写真です。いつもは、ここは、花見で、人が多いのですが、この時には、全くいませんでした。
http://www.youtube.com/watch?v=nozXuzn2NuU (←篠笛で、私が、上天草市のアパートで、さくらの曲を演奏しています。)
https://www.youtube.com/watch?v=eZiaVrHfQfA(←大正琴とコラボ、無錫旅情)
https://www.youtube.com/watch?v=W7uizcaRzMU(←December、この曲を聴いていると、泣きそうになります・・・)

(令和3年4月4日、記載)