日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

ある小児科医の自問自答(その6、グローバル時代)


 (陸軍中野学校出身の)小野田寛郎さんが亡くなりました。91歳でした。御冥福をお祈り申し上げます・・・合掌。
 小野田さんは、戦後29年間もの永い間、戦争が終わってるのではと思いつつも確信出来なくて、フィリピンのルバング島で隠れて生活していました。
 人間って、自分が信頼できる人の話だと、簡単に信じてしまう傾向にありますが、そうでない人から言われても、普通は、いきなり信じれないですね・・・。
 小野田さんのその後は・・・帰国後の日本での姿を知って、(戦前と違って、戦後、日本人が自己中心の生き方になってしまって、失望して?!)ブラジルに行き、その後、日本での金属バット事件などを知って、(これでは日本が駄目になってしまうと思って)帰国し、子ども達に夢と希望を与える話をアチコチでしていました。(←正に、生きた教材ですね!)
 情報って、生きる上では、とても大切と思うのですが、その情報の真偽を見極める能力が、それ以上に大切だと思います。
 昔、「韓国って、怖い所で、日本人が韓国旅行に行って、そのまま帰って来なかったんだって・・・」何て話を耳にしていましたが・・・北朝鮮の拉致の事だったんですね・・・?!
 ある時、佐伯市教育委員会により、佐伯市民講座の一環として「韓国語講座」が開かれ、韓国の人(←その後、別府大学の教授になってしますが)が教えに来てくれました。そこで教わったHさんが、そのハングルを使って、独りで韓国に行って来て、その経験を直に聞くことが出来ました。
 ・・・(Hさんは、農業をしている関係で)韓国の地方の農村に行くと、「よくまあ、日本の人がこんな所まで来てくれて・・・」と言われて、丁重にもてなしてくれて、危ない事なんて、全くなかった・・・と言われました。
 これが、独りで海外に行こうと思う様になった私の出発点で・・・→しばらくして、実際に、独りで太鼓を持って行き、清州市で演奏が出来て、自信を持つことが出来ました。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/6348/kankoku-1.htm(←清州市1回目、1999年)
http://blog.m3.com/syumi-syounikai/categories/1405(←清州市2回目、2012年)

 バングラデシュダッカにホームステイした時、そこで偶然に知り合った韓国の大学生の話、とても意味深くて・・・→
 「日本の学生はいいですよ、コンビニのバイト料高いので、直ぐに、海外旅行出来ますね、その点、韓国でのバイト料、安いですから・・・」と。
 この学生さん、卒業前に、独りで、中東から韓国まで、安い旅行費で、トルコ・シリア・イラン・イスラエルなど、アチコチ周っていましたが・・・英語はもちろん、日本語も上手で(←別府のAPU:アジア太平洋大学での留学経験あり)、各国の言葉もそれなりに使って、就職前の貴重な海外体験をしていました・・・!
 毎年海外旅行をしている(とても仕事熱心な若い独身の)ドクターがいて、彼が初めて旅行した国が、卒業直後に行ったインド→中国で・・・その話を聞くと、信じられない感じの内容で・・・
 ・・・「ニューデリーの空港に着くと、自分の名前を書いた人が二人立っていて、まず、ホンモノはどちらか選ばないといけなかった・・・その後、中国に行っても、いろんなトラブルがあったけど・・・中国のトラブル何て、インドのトラブルと比べれば、可愛いもんですよ・・・」と。
 そんな彼が、又、10年前に旅行したインド→中国に行って、どんな風に変わっているのか確かめたいと言っていますが・・・!!
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%94%B0%E5%AF%9B%E9%83%8E(←小野田寛郎)