日本の心・さいき

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趣味人間の人生の全て(その3)

 「予備校生時代」
 1浪の時、九大の近くに間借りしました。周りに浪人生はいなく、大学生に囲まれて生活しました。これが大失敗でした。下宿するべきでした。
 遅れて、予備校英数学館の二次試験を受けました。運良く、前期も後期も、80名の東大クラスに入れました。席取り競争はなくて済みましたが・・・もう、浪人出来ないと強く思い込んでしまっていて、焦るばかりで、すればするほど、更に焦り、正に、受験一色って感じでした。
 年明けの最終の英数学館主催の西日本模試では、九大医合格確実、長崎医受験志望者の中では、1番でした。
 しかし、年が明けると、益々焦り・・・受験当日は、睡眠時間0時間に近い状態で・・・(学園紛争の中で)物々しい体制の中で、受験場所も変更となって、念願の長崎大学医学部を受けるも→得意の数学で大失敗して不合格になりました。Ⅱ期校の山口大学医学部も、前年同様に失敗して、二浪が決まりました。
 もう、こうなると、何をしてもダメになってしまう様な錯覚に陥っていました。
 福岡県立高校の中で一番レベルが高いと言われている「修猷館高校」の裏にある予備校「修猷学館」の入学試験を受けて無事合格しました。後で聞くと、理系の修猷館外生は、この年、殊更難関で、3倍の競争率で、九大の工学部よりも難しかったとのことでしたが・・・?!
 修猷館生と修猷学館生、総計1.000名中、最後の4回の模試の平均が23番で、修猷館の現役だと、3番でした。(この前年度、修猷館修猷学館から、九大医100名中に22名も合格していましたが・・・)
 この2浪の時から、私の勉強法は、完全にリセットされました。浪人生活のコツを掴みました。アチコチ手を広げることなく、マイペースで確実に一歩一歩進むことが大切だと思いました。
 趣味として→星占い、手相、手品、人相学、兄弟学、姓名判断にも少し凝りました。
 1浪の時と違って、体力第一と考えて、朝、(同じ学校に通う浪人生と一緒に)マラソンをしました。走り切った後は、いつも、すがすがしい気持ちになりました。志賀島大濠公園にも友達と行きました。佐伯の家にも夏休みと冬休みに帰りました(←1浪の時は、1度も帰りませんでした・・・)。
 2浪目で下宿先を決める時、既に決まっていたのに、下宿先の人に、私の趣味の手品を見せて、気に入られて、急遽、私が運良く代わりに入れました(←今、考えると、既に決まっていた人には、ホント申し訳なかったと思っています・・・)。
 この時から、芸や趣味は、身を助けると思う様になりました(←私の結婚式の時、福岡からわざわざ、この下宿のおじさんとおばさんに来て頂いて、有難い言葉を頂きました・・・←浪人の時に、お互いにそうすると約束を交わしていました)。
 大学入試では、国立大学のみ、6回受けました。2浪の時の5回目に、皆から九大医と思われていたのに、安全策で徳島医を受けて(修猷学館には、今まで、そこを受けた人がいませんでした・・・)、又落ちてしまって・・・→一体、何を信じていいのか分からない状態になっていました。
 もう、3浪までして浪人する気は全くなかったのですが・・・ひょんなことから6回目も、医学部を受けることになり、やっと合格しました。
 受ける時、受験と思わなくて、修猷学館での第7回目の模試と思って受けました。問題も、模試に近くて、普段通りに出来ました。この年、修猷館修猷学館から、鹿児島大学医学部に7名合格していました。
 学園紛争で、1カ月遅れで講義が始まり、その分、夏休みが短縮されました。
*写真は、大分市戸次(へつぎ)の秋の祭りで演奏している私です。