日本の心・さいき

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4つの顔・・・

 今の医者には、4つの顔がある・・・?!
1、「学者の顔」
 医学は科学である。それ故、医者は、科学者としての目を持たなければいけない。患者さんから話を聞き(問診)、診察し(視診、聴診、触診、打診)、必要があれば検査をし、そして診断をして、治療を決める。今までの知識を縦横無尽に駆使して、今までの経験も生かして、時には、他の医者のアドバイスを受けて・・・。
2、「神様(天使)の顔」
 医学は単なるサイエンス(科学)ではない。サイエンスに支えられたアートでもある。医学が他のサイエンスと違うところは、生身の人間を対象としていることであろう。それも、生老病死を対象として。それ故、医療においては、病気ではなく、病人を診ないといけない。医療とは、病気で病んだ人と医師(や医療従事者)との信頼関係に基づいて進める共同作業と言うことになるだろう。
 共同作業を行う上で、お互いにミュニケーションが上手にとれることが必要である。
 医学(医療)では、絶対と言う言葉は使えない。しかし、医療を受ける側にしたら、特に、病気で苦しんでいる子どもさんを持った親御さんにとっては、医者が神様みたいに見えることもあるだろう。重症であればある程、そう思うだろう。医者の一言一言が、その時の親御さんにとっては、神様の一言一言に近いものに聞こえるかも知れない。気になる症状がずっとあって、検査をしてもらって、その結果を、医者から、「どうもないですよ。正常ですよ。」と言われた時、その医者は、正に、神様的存在に見えるかも知れない。(過去に、自分も、長いこと血便が時々続いていて、内視鏡検査で、正常ですと言われた時、そんな思いだった・・・。)
 しかし、典型的な症状や所見がなければ、早期診断や早期からの適切な治療が難しいのは言うまでもない。ガンにしても、猛スピードで進行するガンもあり、半年に1回では、診断不可能のケースもあるのだ。
 それにも関らず医療訴訟があるのは、一般の人にとっては、医者は神様的存在で、立派に勉強してきているから、自分の先生に関しては誤診はまずないと思っていることが大きいのではないだろうか。信頼が大きければ大きい程、予想していた結果と大きくズレている場合には、それだけ憎しみも深まっても不思議でない。
3、「悪魔の顔」
 「先生、いくらかかってもいいですから、出来る限りの事をして下さい・・・」と、幾度か言われてきた。しかし、退院時の患者さん側の顔は、どうだろうか?
 多くの人は、本来、人間は健康のはずだと思っている。不幸にして病気になった事で、医者は収入を得て、生活が出来ることになる。そもそも、あのまま元気だったら、医者にかかることもなく、不必要な心配もしなくてよかったはずと思いたくもなる。人の弱みに付け込んで、人の不幸で儲けて・・・格差社会で、ちょっとの医療費でも、その後の生活に大きく影響してくる今の時代だと、尚更、そう思われても不思議でないケースも多いかも知れない・・・?!
 予防や健診やお産では、(結果に特に問題がなければ)医者が悪魔に見えることは少ないと思う。しかし、病気で法外な高い医療費を払わされることとなると・・・医者が悪魔に見えることがあっても不思議でない・・・?!
 人間とは勝手なもので、健康の時には健康の有難さが解らない。病気になった時に、健康であったらどんなにいいかなあと思う。特に、ひどい状態になった場合。しかし、健康を取り戻すと、その思いを直ぐに忘れてしまう・・・。
4、「4つ目の顔」
 そして、医者には、医者しか解らないもう一つの顔があると思う。
 医者になるまでには、実に多くの困難と試練を伴い、医者になっても、医者しか理解できないこともある。(自分も、医者になって、初めて知ったこと、多いです!)
 まず、医学部に入るまでが大変である。知っての通り、超最難関。特に、今は。国公立の医学部に行こうとなると、地方の医学部でも、東大受験並みの成績が必要とされる。
 小学生の時から、それなりの中学校(その多くは、中高一貫教育の学校)に行く為に、土・日も塾通い。中には、いい塾に入る為にも、競争がある。大学入試は、(欧米と違って)年に1回しかない。医学部浪人を何年もすると、他の学部に行っても、歳がハンディーになって、就職難ってことになり兼ねない。そうなると、何が何でもって感じで、何浪もしている人もいる。
 大学の入試では、決められた時間内に、その大学の過去の問題から、傾向を充分に把握しておいて、時間配分を上手に使って、出来る問題を落とさない様にして、他の受験生よりも出来ることで、合格となる。そこには、人間性とか、思いやりとか、多様性とか、不確かなものへの挑戦とか、新しいものへの挑戦とか、自分らしさとか、そんなものは、二次的なものとなっている。
 医学部に入学してからがもっと大変。覚えることの多さに、まず驚く。それに、講義のスピードが早い。多くの秀才があっと言う間に、落ちこぼれになる。追試、再追試、留年、・・・精神的に追い詰められて、潰瘍になったり、鬱になっている人も現に出てくる。
 暗記モノが多く、試験の時に、一時的にでも頭に詰め込める能力が試される?基礎の解剖学、生理学、生化学、それに、分子生物学、発生学、免疫学、・・・どうしたらこの莫大な量をこなしていけるのか(こなしていけない。日進月歩なので、教科書が直ぐに古くなる。基礎的なことをしっかりと把握して、後は、雑誌で追っかけるしかないことに気が付く・・・)。
 医師試験が難しい。3日間もある。それも、年に1回だけ。受験勉強をしてないと、まず、合格は無理。医師国家試験に合格しないと、後なれるものは何って考えるゆとりもなく、ただただ、合格するまで頑張るしかない(それでも、1割不合格)!
 医学部に6年間いても、学生の身分では、医師法で、患者さんに注射1本出来ない制度となっている(欧米の医学教育とは、全く違う旧態依然の教育方?!)。卒業しても、研修2年間は、医師免許証を持っているのに、処方さえ、上の人の監視の上で許される(ケースが多い)。医学部の教育なんて、教える方も、無報酬で片手間にしていることが大部分。
 医学部に入学して、ジワジワと現実を知ってくる。しかし、もう、後戻り出来ない。医師になっても、忙しさと裏腹に、給料の低さに驚く。医療のきつさに驚く(当直明けにも普通通りに仕事をこなさないといけない)。医療界の制度のおかしさに驚く。学生時代の医学教育以上に、卒後教育のおかしさに驚く。それに、患者さんへの対応の難しさに驚く。
 マスコミの医者叩きに驚き、卒後の医療の進歩に驚く。大学との関係、博士号の有無、医師会員加入の是非、問題は、次から次へと襲って来る。そして、婚活!?
 医師が科を選ぶ場合、小児科や産科は、女性にはとても合っていると(私自身は思っている)。母親の気持ちになれるし、お産する人の気持にもなれるから。しかし、卒後まだ一人前でなくて、結婚・育児となると、仕事との間に挟まれて、大変な思いをすることとなる。修行未熟のまま育児に専念となると、その後、再びとなっても、初めからやり直しって感じにもなる場合も・・・?!
 医者になってらかの方が、問題が山積してっくる。自分の子育て一つとっても、悩んでしまう(深夜も起きて診るべきか、それとも、大切な家庭を大事に守るべきか)。地方の病院勤務となれば、経験しない他の科も、当直で診ないといけない。いつも他の医者に応援を頼む訳にもいかない。(田舎で、数少ない医者でしている場合は、高給をもらうことになるが、そうだと、深夜断るのは、難しいケースも・・・。)
 ああやこうやと悩みながら、医師の自殺率は、普通の人よりも高く、特に、男性の場合は、高い。
 今からの医師に求められるのは、「鈍感力」かな(?!)。小さい時から受験勉強漬けでは、それは、出来にくいかな・・・?!