日本の心・さいき

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受 験

 アメリカの大学では、卒業式は、どこもとても「どはで」とのこと。しかし、入学式は、「ない!」とのこと。入学時期が、日本の様に春1回でなく、年に4回程もあるからだ。それに、入学時の成績よりも、大学で何を学んで何が出来るようになったかが大切になるから(当たり前のこと!)。
 日本では、どこに入学したかが大きな問題になる。中には、どうせ落ちるなら、名門校を受けて・・・何て受験生もいるとか。更には、難関校難関学部がステイタスとなると思って、(将来、何になるのかサッパリ解らない感じで)合格後にどの学部に行くべきか迷っているケースもある。
 浪人して、1年後に再挑戦、いや、1年でなく2年やそれ以上浪人して再挑戦している人もいる。(そんな私も、2年間浪人して入学したのだが。)
 この歳になっても、時々まだ大学受験の夢を見る。その内容の多くは、いつも、時間がなくて焦っている自分。
 大学受験の時、おかしなことが沢山あった。医者になるのに、何故、有名校を目指すのか、それが自分にはとても不思議に思えていた。地方の2期校の医学部に入学しても、又受け直すと言う人が多かったのには、驚いた。
 自分の場合、九大受験を中心にしている予備校(英数学館)だった。2浪の時の修猷学館(修猷館の現役の先生も教えていた)では、(初めから、難関の九大を受ける気は全くなく)自分が受ける大学医学部の資料がなかったと言うより、受けた人が今まで誰もいなかった。そんな中で、自分はもう浪人できないからと思って、得意科目の配点の多い大学を、滑り止めの感じで受けたのだが、それでも落ちた。今思うに、それを受ける為に、予備校と同じ感じの問題を出題する大学を初めから選ぶか、もっと過去問題を分析しておくべきだった。(九州英数学館に、九大教養部の先生が教えに来ていたし、大学に入った時も、あの先生は、ここの予備校で教えている何て周りがささやいていたが・・・?!)
 あの浪人の2年間があったからこそ、今の自分があると思ってはいるが、しかし、それは初志貫徹する為に耐えて過ごした浪人生活であったことも否めない。もっと受験勉強以外で有効に使える貴重な2年間でもあったはずだ。
 入学しても、滑稽なことが沢山あった。まず、(教育者である)自分の父親でさえも、「留年だけはしない様に・・・」と言った。一生懸命勉強しなさいとは決して言わなかった。長兄は、「文系(経済学部)は、勉強してもしなくても、あまり変わらない。最後の1年間は、もう早めに就職先が決まった人は、卒業論文を書くだけって感じになっている。大学4年間、3年間でもいいかなあ・・・」と言っていた。工学部に通っていた次兄が大学から帰って、夏休みに家で勉強している姿を姉の友達が見て、「貴方のお兄さん、変わってるね、大学に入ってもあんなに勉強している・・・」何て言っていた。
 普通通りに教養の講義に出席している自分を見て、医学部のクラブの先輩同士が、「オイ、今度真面目なのが入っている。ちゃんと講義に出てる・・・」などと言っていた。
 初めて習うドイツ語にしても、自分の様に、(高校や予備校では何も驚くことではないはずなのに)前もって全訳してくる医学部の生徒、極めて少なかった(自分は、フランス語もしていたが)。
 普通通りに講義に出席し、それなりに予習をして行くのが、恥ずかしくてたまらなかった。
 自分と同じ考えをする人が殆どいない感じに思っていた。留年できない自分は、自分の生き方をまともかどうか、それなりに悩んでいた。
 しかし、医師国家試験の合格率が、入学時の98%(昭和45年第49回、97.9%)から自分の受ける時には、80%(昭和51年第61回、80.4%)になった(その後も更に下がって、今は、90%前後で落ち着いているが)。当時は、医師国家試験が年に2回あったので、年1回の今ほど深刻ではなかった。年明けの卒業試験で忙しくて、落ちれば又秋に受ければいいって感じの人も少なからずいた。
 今の若いドクターの中には、「今の医学部は、国家試験予備校みたいになっている・・・」と言う人がいる。何でも、合格率が70%を切ると、私立大学では、国から補助金が出ないので死活問題とか聞いたこともあるが、・・・?!
 パイロットの養成にしても、日本の場合は、学生の時に実践的なことをしてなくて、就職してから鍛えることが大部分とのこと。多くの会社がそんな感じで、直ぐに使えないので、新入職員の教育で、かなりのエネルギーを費やしている。医学部の最終学年でも、患者さんに対して、注射一本出来ない。
 義務教育でも落第制度のない日本の国、多くの生徒が、受験で追われ、大学を出ても就職難。いつになったら、まともな教育になるのかなあ・・・?