日本の心・さいき

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原始信教

 平成21年12月20日(日)の午後、哲学者の梅原猛氏と、「第2の太陽の船」を発掘したことで世間の注目を集めているエジプト考古学者の吉村作治氏が、対談(11月26日)していた。
 西洋哲学は、ギリシャから発症しているのではない。それは、エジプトから発症している。
 エジプトの哲学は、太陽の哲学であったが、その哲学が、ギリシャで消滅されてしまった。
 太陽の哲学は、生きたり死んだりする。デカルトの近代哲学には、死や眠りはなく、常に理性が覚醒している。これでは、人間性が失われてしまいかねない。
 エジプトでは、主食は小麦、日本では、稲作で、共に農業を重視している。農業を重視している国にとっては、太陽は、神的な存在となるのは自然の流れ。
 事実、日本にも、エジプトの太陽神アラーと同じ様に、アマテラス信仰があった。
 天照大神アマテラスオオミカミ)は、弟の須佐之男命(スサノオノミコト)の傍若無人の振る舞いを嘆いて、岩戸に隠れてしまった。正に、これは、皆既日食に対する畏敬の念の表現ではないだろうか?
 「死は永遠の眠り、眠りは、一時の死」
 死とは、寝てからずっと起きないことであり、朝ずっと起きなければ、これが眠りでなく、死を意味することになる。
 大人で、心筋梗塞で突然死ってことがあり、又、子どもでも、乳幼児突然死症候群と言うのがあって、乳児期の死因の原因としては、3番目に多くなっている。
 人間は、長い人間の歴史の中で、各人が生きている時間は、極わずか。誰しも毎日死に、そして、又、運良く生き返っているだけのこと。
 自分のモノは何もなくて、体も借り物。神様から体を借りて魂を磨く為に人間は生きている。それには、試練が与えられる。試行錯誤して晩年までにしっかりと魂が磨かれれば、もう、この世に出て来ることなく、極楽浄土のあの世に生きることになる(と私の母はいつも言っているが)。
 ところで、アラビア文字には、28文字の内の半分が太陽文字となっている(残り半分は、月文字)。世界の国旗の多くにも、太陽や月や星が描かれている。日本の国旗にしても、桜島から太陽が上がるイメージで作成したらしい。太陽が現世を、月や星があの世を少なからず表現しているのだろう。
 長い歴史の中でのホンの一瞬に生きている人間は、今こそ、この原始信仰をもう一度再考するべき時期に来ているのかも知れない。
 こんなに二酸化炭素が短期間で急激に増えた時代、地球の歴史にとっては、例外ですね。大国のエゴ、地球のエコ上、ホントに困りますね。




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