日本の心・さいき

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退職後の雑感(410)

  「退職後の雑感、日記」

 令和5年3月6日(月)、午後3時半過ぎに、「さいき海の市場〇」に家内と歩いて行き、そこで買物をして(それを翌日、郵便局から送る)、佐伯駅の近くにあるレストランで、夕食を摂りました。
 落ち着いた感じの外国の人が、そこで働いていました。帰る時、「どこの国からですか?」と私が尋ねると、上手な日本語で、「スリランカからです。」と言われました。直ぐに私が、「アーユーボーワン?」ですね、と言うと、驚き、ニッコリして、いろいろ(日本語で)尋ねられました。
 私の頭の中で、「コヘダ(どこ)」と「コホマダ(どう)」の整理が付かなくなっていて、話しが終わって、自分の間違いに気が付きました。最後に、私が、「スツティ(ありがとう)」と言って、楽しく、別れました。日本人で、英語以外の外国語、それも、スリランカ語を、ちょっとだけでも、話すとなると、スルランカの人にとっては、特別な人になるかも・・・?!
 帰る時、タクシーが止まっていたので、トントンとドアを叩くと、「どうぞ」と言われ、乗り込むと、西田病院で運転手をしていた「T」さんでした。西田に36年もいて、その後、今の仕事に(9年近く?)付いていて、もう直ぐ、後期高齢者になります、と言われました。
 「T」さん、働き者で、どんな時間帯でも、快く、ニコニコして、仕事をされていて、職員からの評判、とても良かったですね。私も、宮医大(主として先天性心疾患)や県病(病名が付いている時)や大分医大(病名がよく分からない時)に送る時、大変お世話になっていました。 
 「よく、病院の救急車で、宮崎(医科大学小児科)まで行っていましたね。ちょっと遅れていたら、手遅れってこともあって、患者さんから、私(Tさん)まで、お礼を言われたりして・・・」などの話で、盛り上がりました。
 (ハンサムな)「T」さん、今も、若々しく、仕事が楽しいと言われていました。運転手は、「T」さんの正に天職ですね。
 医療する上で、嫌な思い出も確かにありますが、いい思い出も、それ以上に、しっかりとありますね。
 感謝感謝感謝、ありがとうございました。

*写真は、この日、夕食を摂ったレストランに貼っていたもの。

 (令和5年3月7日、記載)