日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

クール・ジャパン(5/5)


 日本と言う国、もう、2000年以上も続いている・・・?
 これって、世界の歴史から見ると、例外中の例外かな・・・!!
 世界で、そんな国、あるだろうか?日本に次いで長い歴史を持つ国は、デンマーク。それでも、千数十年で日本の半分でしかない。次の英国も、1000年に満たない。アメリカとフランスは、歴史が浅い。中国4000年の歴史と言うけど、今の中華人民共和国になってからは、60年程、ロシアは、もっと新しい。
 多くの東南アジアの国々が、第二次大戦後に独立している。今、デモで揺れているアフリカでも、それは同じ。
 日本も、3回、そんな危機があったかな?元寇の時、江戸時代の幕末の時、第二次大戦後の時、他国から領される可能性があった。下手をしたら、戦後日本が分割されて、ロシア語が日本の一部で強制されていたかも知れなかった(戦後、学校教育を英語一辺倒でしようと言う動きもあったのだが・・・)。
 日本に来ていた年配のポーランドの人が・・・→「ロシアが攻めて来て、それから、英語は使えなくなった。英語でなくロシア語を強制的にさせられた。それで、英語、今も出来ません・・・」と言われていたけど・・・。
 大和の国の字の中にも、偶然か、「和」なる漢字がある。正に、「和」を尊としとしてきた国、それが日本なのだ。「武士は食わねど、高楊枝」「武士の情け」「勝って奢らず、負けて挫けず」・・・日本の精神は、長きに渡って培われてきたものに違いない。
 自分が産まれたのは、昭和24年(昭和20年終戦)。貧乏なのに、産めよ殖やせよのベビーブームの真っただ中で、子ども達がゴロゴロしていて、外で元気に遊んでいた。
 そんな中で、海軍兵学校卒の海軍少尉の伯父から、よく、軍隊の事や戦争当時の話を聞かされていた。父も、しばらく(1年間?)陸軍にいて(伍長までなっていて、軍隊に残ることを勧められていたが、教育の世界に戻っている。)、当時の軍隊の理不尽さを私によく話していた。
 で、いつも子どもなりに不思議に思っていた。何故、天皇陛下の悪口を言わないのか?父だけでなく、天皇陛下の悪愚痴を言う人が、周りに、ただの1人もいなかった。
 大戦終了後、マッカーサー元帥が昭和天皇に会って驚いたのは、「この戦争の責任は全て自分にある。自分の命はどうなっても構わない。一億の民を飢えさせないで欲しい。」と言われたこと。(今のイスラーム社会での上の人の態度とは、正反対ですね!)
 現在、天皇陛下は、「日本の象徴」となっているが、長いこと、象徴的存在だったのでは・・・?!!
 歴史を紐解いてみると・・・大和朝廷にしても、実際は、物部氏や曽我氏などの豪族が政権を握っていた感じで・・・平安時代には、藤原氏による摂関政治が行われ、公家が政治を担う感じになっていたし・・・その後、平氏や源氏が台頭してきて、ずっと武家政権となり、それが、幕末の大政奉還まで続いている。
 日本では、今の125代目の今上天皇に至るまで、政権はしばしば変わっても、いつの時代も、決して途切れることなく、天皇が存在していた。そんな中で、摂政、関白、太政大臣征夷大将軍など、天皇の任命でなされてきている。
 現在の内閣総理大臣も、今の天皇陛下が任命しているし、国会の召集、衆議院の解散、法律の公布など、重要な国事は、天皇の国事行為とされている。つまり、神事は天皇が直接行うのに対して、政治は、天皇が直接行わない感じで、来ている。
 日本の歴史上、民が天皇に逆らった話はない。
 小学校6年生の時に、担任の先生から、次の話を聞いた・・・(16代目の仁徳)天皇が高台に立つと、民家から煙が上がっていなかった。それで、民の苦しさを知って、しばらく徴税を停止させた。その3年後に天皇は再び高台に立った。煙が上がっていた。それを天皇はとても喜ばれた。・・・民が飢えたら天皇の責任、豊作などの吉事があれば、それは民の力・・・民の幸せが天皇の幸せ、天皇の宝は民・・・!
 大きな城の周りには、敵から攻められない様にと、大きな堀があるのが普通(秀頼は、堀を埋めて家康から滅ぼされた・・・)。京都御所には、掘がない。つまり、天皇が攻められることなんて、頭から想定してないのだ。
 2月14日(月)も2月18日も、篠笛で、「君が代」を演奏した。お年寄りの方々、待ってましたとばかり、殆どの人が、大きな声を出して歌っていましたが・・・!

http://www.youtube.com/watch?v=21ouqDSBDBE&feature=related

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20101116/2