日本の心・さいき

日本の心で、世界平和の実現を!

退職後の雑感(754)

  「退職後の雑感、好きこそものの上手なれ」

 「好きこそものの上手なれ」と言う言葉がありますが、その意味が、超出来る人を見ていると、よく解る感じです。
 今、名人戦で戦っていますが・・・藤井8冠の好きなことを尋ねた所、1は、「将棋を指すこと」、2は、「詰め将棋を解くこと」、そして、3は、「詰め将棋の問題を作ること」、とのことですが・・・納得ですね。
 大谷翔平選手にしても、野球が根っから好きなんですね。イチローも、そうだったと思います。
 才能がある上に、そんな彼らを周りが暖かく見守って来たんですね。
 土台、人から命令されてする何て、あまり面白くないですね。自分で考えて、自分なりにする方が、楽しいに決まっていますね。
 出来る人は、しないといけない事が、好きになる能力があるんですね。いやいやながらしていたら、どんなに才能があっても、続きませんね。そして、「継続は、力なり!」ですね。どんな職人も、10年修行すれば、ある程度には、なれますね。
 小さい時から、達成感を経験させることが大切だと思います。成功から得ることも、失敗から得ることも、大切ですね。失敗は、成功の神様です。
 それと、思いやりの心と同時に、耐える力を小さい時から培っておくことも、大切ですね。小さい時に周囲が甘やかして、それで、大人になっても、我慢できない人になっているケース、ホント、困りますね。
 4月11日夜9時22分、名人戦の第1局目、藤井8冠、141手で、危ない何場面を何とかくぐり抜けて、勝利しました。

*写真は、4月9日に、「臼杵石仏」で撮ったものです。
https://www.drizumi.com/news/ebook1?fbclid=IwAR16f5hSL0mH95lu8O1YRKJsEUo7r4hO4v4HMzBLaAr8IJZKGTegjkgUuVI_aem_AdkckNBJHCFyjHXjH37c3_zozPXpPStxjndsSBAdZGzm_wZcFq5xLSiopOpTShPBIp96YI_I17wij-7BND_kd3Dq(←不眠症の人の為の本、上の内容とは、関係ありません。私の長女の配偶者が作成した本で、一般の本とは、アプローチの仕方が違います。)

 (令和6年4月12日、記載)





退職後の雑感(753)

   「黒柳徹子、名医の言葉で病気と絶縁」(再掲)

 昭和62年4月5日の毎日新聞掲載の黒柳徹子さん(現在、90歳で、活躍中!)のエッセイを見て、今でも、私の、この原稿を大切に保存しています。

 もう〇〇年近く(←正確には、半世紀以上?!)、私は病気をしていない。
 特にこの〇〇年間は、「徹子の部屋」という毎日のテレビ番組を持っていて、更にその前に、3年間の、これも毎日のナマ放送の司会をしていたから、合計で〇〇年間、毎日テレビに出ていることになる。
 その間、だたの一日も病気で休んだことがないというのは、自分でも(他に、自慢出来ることなどないけれど、なかなかのものだ!)と思ったりしている。
 私は、30年(←正確には、半世紀以上?!)前の「あの日」から病気をしなくなった。
 私は、NHKで、テレビの為の養成を受け、NHKの専属のテレビ女優として、この世界に入った。初めの頃は、「お前の個性は邪魔だ!」と言われて、ずいぶん悩んだ時期があった。
 個性が邪魔と言われても、若い私には、自分の個性がどういうものなのかもわからず、ただオロオロとスタジオの隅で過ごした。
 「もう、帰ってもいいです!」と降ろされて、一人だけ、スタジオの外の廊下で、同級生の俳優たちの終わるのを、本を読みながら、待っていたことも、しょっちゅうだった。
 その内、世の中が、突然、「個性の時代!」に入った。とたんに、みんな、「さあ、貴女の個性を出して下さい!」と言い、仕事は次から次と押し寄せた。
 私は、途方に暮れた(出しなさい、って言われてるものが何なのか、わからない!)。それでも、私は、皆の言う通りに、一生懸命にやった。
 寝る時間は、殆どなくなった。
 ある日、私は、「過労」と診断され、その日の内に入院ということになった。
 どの番組のディレクタ-も、「自分のだけは、休まないで」と言った。でも、お医者様は、「死ぬよ」と言った。
 私は、仕方なく、全部のテレビとラジオのレギュラ-番組を休んで入院した。先生が、テレビを部屋に入れて下さった。
 当時は、全ての番組がナマ放送だったから、私は、私がいないとどんなことになるかしら、と心配しながら自分の番組を見た。
 私が司会をしていた番組に、私の知らない女の人が出て来て言った。「さあ、今日から、当分、黒柳さんの代わりに私がやります。さあ、始めましょう!」。それだけだった。
 私が、渥美清さんと夫婦をしているドラマでは、隣の奥さんの役の人が、渥美さんに聞いた。
 「奥さん、どうしました?」。渥美さんが、答える。「実家に行っています!」。そして、ドラマは、私なしに、どんどん進んで行った。
 他のものも、似たりよったりだった。
 私は、ブラウン管を見つめながら、考えた。 「・・・実家に行ってます」---この言葉が、耳から離れなかった。
 1カ月後に、病院を出る時、私は、はっきりとした考えを持っていた。
 一つは、もう、絶対に病気をしないこと!。
 もう一つは、自分しかやれない仕事をなんとか見つけよう!。
 私は、先生に聞いた。
 「死ぬまで、病気をしないのは、どうやるんですか?」
 先生は、笑って、「生まれて、初めての質問だな」と言ってから、こう言った。
 「一つしかない。自分の好きなことだけ、やるんだな。自分が進んでやろうとする時には、どんなに疲れていても、寝れば、治る。いやだいやだと思いながらやっていると、疲れは寝ても取れない。やれるかい?」
 名医と言われる先生のお言葉だった。
 私は、そうしようと、心に決めた。
 あの1カ月は、私に、人と自分を比べることの愚かしさ、命の大切さ、いつも自分らしくあること、なども、しっかりと教えてくれた。
 人生の入り口にボンヤリ立っていた若い私には、こんな当たり前のことでも、早く教わったのは、有り難かった。
 あの退院の日に、私は、少し、大人になった。
                        
 ある人の話では、黒柳徹子さん、玄関に入ってから、応接室で話をして、その用事が終わって、玄関のドアを閉めるその直前まで、ズ-ッと、途絶えることなく、話をされるとのことです。

 この内容、今までに、何度も何度も、読んでいて、その都度、又、初心に戻っています。  

*写真は、「臼杵石仏」に隣接する庭園に描かれた「ハート」です。4月9日に撮ったものです。
https://www.youtube.com/watch?v=p1leOzgpUEs(←東京スカイツリーには、まだ、登ったことが、ありません。その内、いつか。上の内容とは、関係ありません。)

 (令和6年4月11日、記載)





退職後の雑感(752)

  「退職後の雑感、夢」

 石垣島に住むおじいちゃんと孫が一緒にお風呂に入っていた。おじいちゃんは、「大きくなったらなんになりたい?」と孫に聞いた。小学校4年生の孫は、「僕、パイロットになりたい、おじいちゃんは?」と聞いてきた。おじいちゃんは、しばらく考えた後、「そうだなあ、おじいちゃんは仏様かなあ」と答えた。
 おじいちゃんは、考え込んだ。おじいちゃんは、孫がパイロットになる夢を持っているのに、仏様になることしか答えられなかった自分が無性に哀しかった。
 すっかり落ち込んでしまったおじいちゃんは、子どもの頃に思い描いてきた夢を思い出してみた。大きくなったら、陸軍大佐かサ一カスで空中ブランコをする夢を持っていたことを思い出した。
 陸軍大佐には、もうなれない。しかし、サ一カスは、出来るかも知れない。そう思って、サ一カスを教えてくれる所を探した。日本中のサ一カス団を調べ上げ、「空中ブランコを教えて欲しい」と頼んだが、どのサ一カスからも、70歳と言う年齢を理由に断られた。友人がインタ一ネットで調べてくれた。フランスとスペインにあったが、外国なので断念した。
 ところが、偶然にも、石垣島にある外資系のリゾ一トホテルが小さなサ一カス団を持っていた。頼むと、「うちでは、83歳の現役もいます」と言って快く引き受けてくれた。
 それから、毎日、厳しいトレ一ニングが始まった。そして、ついにおじいちゃんは、孫の前でその夢を実現したのである。本当に、空中を飛んだのだ。
 「僕のおじいちゃんは70歳になって夢を実現した」、この思い出をそのお孫さんは、一生、心に刻んで生きて行くでしょう。

*再掲です。
*写真は、バリ島のウブドでの私です。(2005/3/1~3/31、インドネシアのバリ島のサヌールで、独りで、とても暑い中、ボーッとしていました。その間、ウブドに2泊しました。)
 
 (令和6年4月10日、記載)




退職後の雑感(751)

  「退職後の雑感、極楽浄土」

 令和6年4月9日(火)、朝10時過ぎの電車で、家内と一緒に、臼杵に行きました。臼杵に行って、「臼杵石仏」を見るのが、一番の目的でした。
 臼杵駅に着いて、臼杵駅内の観光案内所で、どうしたらいいのか尋ねると、時間があるので、「臼杵城跡」を通って、それから「辻」のバス停から乗って、「臼杵石仏」に行くといいですよ、とアドバイスを受け、その通りにして、大正解でした。
 「臼杵城跡」では、桜吹雪(さくらふぶき)って感じでした。雨が降った後でしたが、それなりに、滅多に経験できない感じの風情がありました。まあ、階段は、ちょっときつかったのですが・・・。
 その後、「辻」のバス停から「臼杵石仏」に行きました。「臼杵石仏」には、1回目は、私達の新婚旅行の時、2回目は、宿泊の2日目、昭和天皇崩御されて、それをテレビで知りました。3回目は、急いでいた関係でしょうか、よく、覚えていません。で、今回で、4回目でした。記憶していたのと大きく違っていて、(石仏の頭が今回、しっかりと胴体に付いていて)驚きました。今回、完全に、リセットしました。階段、少し、きつかったですね。
 「臼杵石仏」、素晴らしかったのですが、新たな発見をしました。その前に広がる庭園、これが又素晴らしく、正に、「極楽浄土」かなと思いました。その中で、「ハート」の字を見つけました。(←家内は、直ぐに見つけましたが、私は、そうでもなく、やっとって感じでしたが・・・)
 その後、「臼杵石仏」の駐車場の一角にある「桃花(ももか)」で、昼食を摂り、又、バスに乗って、いつもの城下町(←一番人気のある所)を散策しました。案の定、道に迷って、帰る時、通る人に2回尋ねて、やっと、帰れました。(→方向音痴は、以前からありです・・・)
 帰りの電車は、普通車で、帰りました。(←普通料金の方が、特急料金よりも安いです!)
 この日の歩数は、「17.377歩」でした。(←帰りも、駅から、歩いて帰りました。歩き過ぎかな?)

https://www.youtube.com/watch?v=fr1WkzLlXdQ(←臼杵散策・城跡、その1)
https://www.youtube.com/watch?v=LLwJRcGajvY(←臼杵散策・城跡、その2)
https://www.youtube.com/watch?v=mpM12Fjz0ZU(←臼杵散策・城跡、その3)
https://www.youtube.com/watch?v=kRrJhvSbYnM(←臼杵散策・石仏、その4)
https://www.youtube.com/watch?v=FXwfOx44lps(←臼杵散策・石仏、その5)
https://www.youtube.com/watch?v=y78oHch_Atc(←臼杵散策・石仏、その6)
https://www.youtube.com/watch?v=fScR3s73ns4(←臼杵散策・石仏、その7)
https://www.youtube.com/watch?v=WorJz_DAuIg(←臼杵散策・石仏、その8)
https://www.youtube.com/watch?v=M2Zc5I81n2k(←臼杵散策・城下町、その9)

 (令和6年6月9日、記載)





退職後の雑感(750)

  「退職後の雑感、アフタヌーンティー

 4月7日(日)、午前中、藤井8冠の「叡王戦・第1局」の対戦を見ながら、語学(インドネシア語タガログ語ベトナム語ミャンマー語タイ語)を、ユーチューブを使って、挨拶中心に私なりに学習した後に・・・13時になって、雨の合間に、家内と家を出て、(時々、利用している)中華料理店の「香春」に行って、昼食を摂りました。ここは、定食めいたものでも、種類が多くて、美味しくて、手頃な値段で、いいですね。
 それから、遠回りをして、「和楽」の近くの桜道を歩きました。桜の絨毯を通って感じで、いい気分になりました。
 最後に、家の近くの喫茶店「Blue Tree」に行きました。紅茶を二人分頼み、パンケーキを一人分、頼んで、それを二人で食べました。
 そこで、新聞を読み、ゆったりとしたいい気分になって、帰りました。
 まあ、こんな感じで、それなりに、お陰様で、充実した日々を送っていると思って、幸せな気持ちになっています。
 平凡って、いいですね。でも、それも、今の時代では、難しいのかな・・・?!
 家に帰って、テレビを付けると、世の中、暗い話が多過ぎます・・・そんな中で、藤井8冠、伊藤7段に「叡王戦・第1局」で、勝利しました。
 

https://www.youtube.com/watch?v=9SWPS3skyj0&list=PLrqIvm8av8ghoiEc6G0neJbYP-y9I2XlF(←インドネシア語
https://www.youtube.com/watch?v=FlOsJtcKEI0&list=PLKs5n7bEEXMkfOkuw9pcFI86cioUeB7Vv(←タガログ語
https://www.youtube.com/watch?v=5qHKR41KZuE(←ベトナム語
https://www.youtube.com/watch?v=UpI1yGBv3AQ(←ミャンマー語
https://www.youtube.com/watch?v=FoTd4JCvcgI&t=2241s(←タイ語

*写真は、4月7日に、「Blue Tree」で撮ったもの。

 (令和6年4月8日、記載)





退職後の雑感(749)

  「退職後の雑感、日本の学校教育」

 もう直ぐ、新学期が始まります。もう、始まった所もあるでしょうが・・・夏休みを終えて、9月に大学の入学式をとの声がありましたが、今は、どうなっているのでしょうか?
 日本の学校教育」の問題点が、永いこと、言われて来ていますが・・・日本の場合、一度決めると、それを変えることが、とても難しいですね。
 校門の周囲に、大学入試の合格の結果を大きく張り出している高校もあり・・・日本では、落第がとても恥ずかしい感じで言われる傾向にある様ですが・・・大学で留年しても、さほど、周りからいろいろ言われない感じになっているのは、何故でしょうか・・・?!
 (アメリカの大学を出た)長女の話だと、大学卒業前に、長いレポートを提出しないといけなくて、大変だった、もうあんなきついことは、したくない、と言っていましたが・・・順調に上がれない人も、多いらしいのですが・・・。
 アメリカのUCLAで教えていた人の話だと・・・→最後の講義の最後に、アンケート用紙を配って、生徒からの評価を受けていたとのことでしたが(←生徒が先生を評価する制度も、大切ですね!)・・・。
 まあ、そんなに頑張らなくても、日本の学校の場合は、トコロテン式に卒業出来る所が多いみたいですが(特に、文系は)・・・大学卒業後に、専門的な技術を身に付ける為に、専門学校に行ったりしている人も、いるみたいで・・・。
 一方、少なくとも6年間も年限を掛けているのに、医師国家試験や歯科医師国家試験や薬剤師国家試験では、昨今、一定の割合が不合格になっているみたいで、国家試験中心主義って感じになっている大学もあったりして、ホント、大変です。
 国会議員の不祥事で、国民の不信感が拭い切れない、今の日本の政治では、改善は、いつまで経っても、出来ない感じですが・・・?!

https://www.youtube.com/watch?v=b3Ky4g9wYZ8(←西先生の教育論)
https://www.youtube.com/watch?v=e8NGdWKqOVg(←加治将一氏の話)
*写真は、10年前に撮ったものです。

 (令和6年4月7日、記載)




退職後の雑感(748)

  「退職後の雑感、クモ」

 小さい時に、クモを採って来て、家の周りに集めて、それを楽しく見ていました。
 冬、クモがいなくなって、寂しい思いをしていましたが、それが、4月4日に、自分の庭に5匹ほどいることに、気が付きました。まだ、小さいので、見落としがちですね。嬉しかったです。今から次第に大きくなるのが見れるかと思うと、ワクワクします。
 庭には、今、「カラスノエンドウ」や「スズメノエンドウ」などの雑草が生えて来ていますが、昨年は、そんな花に没頭していましたが、今年は、ギヤを入れ替えて、「ジョロウグモ」「コガネグモ」になっている感じです。
 まあ、クモを趣味にしている人、あまりいないとは思いますが、エサも挙げなくていいし、入れ物も要らないし・・・家の中には、飼っていないので、私の家内からも、何も、言われず・・・私は、小さい時から、クモ、大好き人間です。
 その魅力は・・・→形が綺麗、職人並みの綺麗な大きな網が貼れる、網が風や雨に強い、獲物を捕まえる時の姿が格好いい・・・貴方も、どうですか?!

https://www.youtube.com/watch?v=FC0YS2-4UkM&t=12s(←WHOとは?上の内容とは、関係ありません。)
https://www.youtube.com/watch?v=4D_vAAHL610(←イスラエルの軍事行動、上の内容とは、関係ありません。)
https://www.youtube.com/watch?v=vxrOvrXO9k0(←韓国人の感想、上の内容とは、関係ありません。)
*写真は、4月5日に、我が家の庭で採ったクモです。

 (令和6年4月6日、記載)