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退職後の雑感(404)

  「退職後の雑感、私の大学病院生活」

 今でも、大学病院勤務での夢をよく見ます。
 大学を卒業して(宮崎県立宮崎病院で研修した後に)宮崎医科大学(現在の宮崎大学)に就職しました。ちょうど(診療が)オープンした時に就職し、昭和52年10月1日~昭和55年3月31日までの2年半、勤務しました。
 スタッフ不足で、教授1、助教授1、講師1、助手4で、わずか7名の出発でした。忙しかったですね。私が一番下っ端でしたが、当直も、一人前にしていました・・・何せ、初めは、講師1+助手4の5名で、当直体制を組んでいましたから・・・。
 大学の使命として、診療以外に、教育と研究があります。朝、早く起きて、近くの学校に行って採血したり(生活習慣病のリサーチの為に)、(教室が循環器をメインにしている関係で、ベクトル心電図などの)学童の心臓検診の検査に、午後からに行ったりしていました。
 教育の準備を依頼されてスライドや資料を用意し、教授の講義に同行していました(私も、医学生の前で、症例報告などしていましたが・・・)。宮医大生の熱意は、驚くほど凄くて、講義が終わると、グルッと囲まれて、質問攻めにあっていました・・・!
 患者さんを沢山は受け持っていないのに、日曜に仕事をしないと進まない状態でした。大学病院って、特殊な所ですね!
 ・・・→入院すると、まず、カルテ作りから始まります。主治医が束ねてカルテを作ります。何の検査をしたかを記入し、検査の結果の用紙を張るのも、もちろん、主治医です。採血は、全て、ドクターがします。当直だと、静注だけでも、それで起きなくてはなりません。宮医大小児科の場合、循環器の疾患が多かったので、急変することが多く、よく起こされていました。もちろん、翌日も、全く普通に仕事をします!
 ナースは、何故か、与えられた仕事以外はしない感じで・・・病院の近くに住む子どもさんが受診したいと言って、深夜来院したりすると、いろいろもめていましたが・・・?!
 で、ドクターの給料の方は、実質労働時間を時間給にすると、ナースと同じくらいとなっていて、それでも、一応、文部教官なので、研修医や医員のドクターよりは、かなり恵まれていましたが・・・。
 今は、かなり改善されている様ですが、それでも、世間の人が思っているのとは、かなり、違いますね。正に、ブラック企業だったですね・・・?!(←今は、当時よりは改善しているとは、思いますが・・・?!)

 (令和5年3月1日、記載)