「退職後の雑感、躾と押付け」
「躾、しつけ」と「押付け、おしつけ」は、全く違いますね。
躾は、身を美しくすると書いて、字の如く、親が子に、生きる上での基本的なことを教えることで、挨拶をすることや箸の持ち方などを教えるのは、躾です。
押付けとは、字の如く、教えられる方は迷惑に思っているのに、周囲から押しつけられることで、子どもに小さい時から、受験の為の塾通いさせたり、いやいやながら英才教育をさせるのは、押付けです。正に、しつけにおがついたものは、不必要なおしつけ。
今の時代は、「しつけ」と「おしつけ」を混同している感じがします。昔の様に、三世代が同居していると、いい躾が出来ることが多いと思うのですが、核家族では、それは、難しいのかな・・・?!
核家族で、親が仕事に出ているとなると、尚更難しいですね。それに、飽食の時代で、モノが豊富になっていると、尚更ですね。
貧困だと大変ですが、大金持ちだと、それなりに、(贅沢をさせるので)躾が難しいのでは・・・?!
大人になっても、挨拶出来ない人、時にいます。本人にその自覚があるのかないのか、定かでないですが、朝、人に会えば、「おはようございます!」と元気よく言えば、お互いに気持ちのいい1日の始まりになると思うのですが、それが出来ない人、現にいるのです。
帰る時は、誰にも差別なく、「先に失礼します。」との言葉、大切と思うのですが。
これって、職種や地位に関係ないですね。
その基本は、やはり、小さい時からの家庭教育ではないでしょうか。
オウム真理教が世間を騒がせました。高学歴の人、多かったですね。学歴と社会的常識は、関係ないと言うことでしょうか。医師の(慶応大学卒の)林郁夫が暴露して、オウム真理教の内部が世間に公になりました。
私が思うに、オカルト宗教に入る人、素直な人が多い感じです。異端視されている宗教を信じている人と直に話すと、ホント、人が良くて、素直なんですね。しかし、客観的に見る知恵が生きる上では、必要ですし、ちょっと退いて、自分を客観的に見る目が、必要ですね。特に、いろんな情報にあふれている今の時代では・・・?!
*以上は、既に掲載したのを、少し修正しての再掲です。
(令和5年2月14日、記載)