日本の心・さいき

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退職後の雑感(302)

  「退職後の雑感、私の趣味」

 昭和55年の4月、故郷の佐伯に帰って、救急病院で、小児科独り常勤医で、入院から新生児から救急医療まで、独りで、朝から晩まで働いていました・・・(直接には言われませんでしたが、私の生き方を見て、ある人が)「あんなに仕事ばかりして、何が面白いのか?よほど、金儲けがしたいんだろうなあ・・・」と言いました。(←時間外手当は、もらっていなかったのですが・・・)
 それが、ずっと頭に残っていて・・・いつか、仕事以外に打ち込めることをしようと強く思っていました。まる8年経って、やっと医大から独り、若い小児科の先生を派遣してもらいました。
 それまでは、忙しくて仕事以外に何も全く出来ない状態でしたが・・・この時ぞとばかり、私は、仕事以外のことを始めることを決心しました。何をするべきか、迷っていたのですが・・・→(心と体を鍛える必要があると思い)精神は「茶道」、肉体は「ヨガ」とまずしました。それが、私の多趣味の始まりとなり、又、私の生き方を大きく変える始まりとなりました。
 「ヨガ」が「太極拳(8年余しましたが・・・)」になり、「ゴルフ」、そして「和太鼓」になりました。(←ゴルフは、病院にも同好会があり、それに参加していましたが・・・)
 「茶道」から「篠笛」→「謡曲」→「仕舞」→「水墨画」→「書道」などとどんどん趣味が広がって行きました。
 「胡弓」の楽器を買ったり、「日本画」の教材を買ったり、「ドラム」の教材を買ったりもしましたが、全くものになりませんでした。
 開業してからは、院長室で、しばしば有線で、英語以外のNHKのラジオの語学講座を暇な時に(全て)聴いていました。
 開業している時に、院長室に(炉を切っていましたが・・・)ロシア人が来て、私のつたない(独学での)ロシア語で何とか会話が出来て、少し自信を持つことが出来ました。その後、院長室に、イタリア人やギリシャ人やフランス語を話すカナダ人(←この人から、1年間、フランス語を習いましたが・・・)など、いろんな外国人が訪れてくれました。
 (上)天草にいる今は、動ける範囲で演奏活動をして、年に1回、文化祭で亭主になって、お点前もさせてもらっていました。
 73歳の今、趣味のメインは、独りボランティア活動(篠笛、和太鼓)、多国語となり、それに、家内との旅行となっています。

https://www.youtube.com/watch?v=DZ-9jR_O8zg(←きよしのズンドコ節)

 (令和4年11月13日、記載)